カレッカの誓い



 時のせいなのか、はたまた自分が卑怯なだけなのか     



 朽ち果てたままのカレッカを見て、ハンフリーは密かにため息をついた。過去、眠りを妨げられるほどに心をえぐった惨劇の舞台だというのに、今は不気味な ほど気持ちが落ち着いている。
 ハンフリーの少し前で、この村を初めて見たセイカイにフリックが昔話を聞かせてやっていた。偽りの話と、真実を。だが指揮官を斬り殺して帝国を追われた 男のことまでは言わなかった。
 あれから幾年が過ぎたというのに、カレッカの姿は何も変わらない。魔物がはびこり、最早人が立ち入る地ですらない。それを復興させる余裕は現在の帝国に はないのだ。そして自分達の生活で手一杯の国民の心にも。
 帝国から完全に切り捨てられた村。今はカレッカの悲劇の最後の生き残りと、この朽ちた大地に緑を蘇らせようと一人で努力している男と、そして    
     セイカイはカレッカの真相の立案 者の名前を聞いただろうか。
 セイカイは今のカレッカのもう一人の住人、レオン=シルバーバーグとも話をした。あまり長くはなかった。二、三のやり取りがあっただけ。特になんの感情 もなく、解放軍リーダーの顔でセイカイは頭を下げ、家を出た。何事かあったわけでもなく、レオンも解放軍リーダーを見送る。
 最後の一瞬、ハンフリーはレオンと目があった。レオンはわずかに目を細める。元百人隊長のことを気付いたのかもしれない。ハンフリーは無表情で軽く頭を 下げ、その場を離れた。
 なんの感情も湧かなかった。戦を早く終わらせることに重点を置いて策を立てた軍師に腹を立てるのはお門違いだと、随分昔に気付いた。
 カレッカの出口付近で野営をすることになった。明日中に秘密工場にたどり着けるだろう。眠っている間の見張りはハンフリーが買って出た。ビクトールとフ リックが複雑そうな顔をしたが、見なかったことにした。ビクトールには夜半になったら交代するから起こせと言われ、了解の意でうなずいたが、そのつもりは 全くなかった。
 魔物達が遠巻きに様子をうかがっているのが分かる。しかし実際に仕掛けようという気配がなかったので、とりあえず無視した。それ以外は異様なほど静か だった。夜行性の動物の鳴き声も聞こえない。
 夜空には地上のことなどお構いなしのように、無数の星々が輝いていた。この天地の様相の違いに、皮肉すら感じる……とハンフリーは思った。
 思い出そうと思えば、難なくあの惨劇を思い出せる。それこそ望まぬ光景までも。罪無き人々を斬った感触すら、昨日のことのようにリアルに蘇る。
     だが感情は動かなかった。微かに 心がうずくだけで、苦しみが喉の奥から這い出てくるようなことは一切なかった。
 時のせいなのか、はたまた自分が卑怯なだけなのか。
 決して忘れてはならぬ思い出だった。だが本当に忘れてはならないのは、あの惨劇がどれほど忌まわしいかということ。ところが今の自分は過去を正視できる のだ。
 そんな自分に、ハンフリーは気がだんだん滅入ってきた。なんて浅ましいのだろうと、ハンフリーは思った。
「……ハンフリー」
「・・…眠れないのですか……?」
 呼びかけたのはセイカイだ。若きリーダーはハンフリーの問いに肩をすくめた。
「あまり眠れる心境ではないね」
「……」
 父のことが気掛かりなのだ。ハンフリーは何も言わなかった。
「なんなら見張り交代するよ?」
「いえ……大丈夫です……」
「そう……じゃぁ、一つ訊いてもいい?」
「……」
 ハンフリーはセイカイの言葉を待った……が、セイカイは何も言わずにハンフリーを見上げている。
「……いや、無理にとは言わないけど」
 どうやらハンフリーの返事を待っていたらしい。ということは、かなり立ち入った話だということだ。
「いえ……どうぞ」
 少し覚悟を決めて話を促した。セイカイは「ありがとう」と微笑み、ハンフリーの脇に移動した。
「僕が工場行きのメンバーを発表した時、ビクトールとフリックが顔色を変えた。どうも……ハンフリーを気にしているみたいだった。心当たりがあるのなら、 その辺の話を聞きたいんだけど……」
「……」
 やはり、とハンフリーは思った。なんと答えようかしばし思案する。
「……もしかして、カレッカに関係あるのかな……?」
「……貴方は解放軍のリーダーでいらっしゃいますから……知っておくべきことかもしれません……」
 ハンフリーは深く息を吐いた。
「私は……カレッカの襲撃に参加していたのです……」
 セイカイが息を呑む。
「何も知らされていなかったとはいえ……この手で罪もない人々を斬りました……気付いた時にはもう……」
 ほとんどが失われていた。
「そして怒りに駆られ、上官を斬りました……それで私は、帝国を追われる身となったのです……」
「そう……だったんだ……」
     しばし、沈黙が舞い降りる。ハン フリーにはセイカイが言葉を考えあぐねいているように見えた。別に何か言ってもらう必要はなかったが、それを告げるのも少年に悪い気がして、結局ハンフ リーは黙っていた。
 やがてセイカイは「ゴメン」と呟いた。
「何か言おうと思ったんだけど……カレッカのことも、ハンフリーの辛さも想像するしかできない僕が、何を言っても薄っぺらな言葉にしかならないよね……」
「……いいえ……そのお気持ち、感謝致します……私は大丈夫です……いつまでも引き摺っているわけにはまいりませんし……それに、だからこそ……解放軍に 参加しているのですから……」
 言葉とは不思議なもので    先程まで 心が動かないことを苦々しく思っていたのに、今こうしてセイカイに心配させまいとして言った言葉が、心が動かぬ紛れもない理由に思えてきた。確かに実際い つまでも過去に苦しんでばかりはいられない。同じ過ちが二度と起きないように、そして国民が安心して平和に暮らせるように、戦っていかねばならないのだ。
「……そうだね」
 セイカイはうなずいた。
「……セイカイ殿も、現在大変な状況に身を置かれていらっしゃるというのに……お心遣い、痛み入ります……」
 先回解放軍を惨敗させた鉄甲騎馬隊を率いているのは、セイカイの父なのだ。しかもその前にはグレミオを失ったばかり。
     だがセイカイは苦笑いを浮かべ、
「父さんのことは大丈夫だよ。確かに眠れる心境じゃないけど、僕も生半可な気持ちで解放軍のリーダーをやっているわけではないからね」
 と力強く答えた。
「……その決意に敬服致します……」
 本当は辛いだろうに、なんと強い少年だろう……ハンフリーは心苦しかった。だがその気持ちをそのまま表しては、リーダーの決意に失礼なので、“敬服”と いう言葉に留めた。
「まぁ……皆も同じ決意で解放軍に参加してるんだから、偉そうなこと言えないけどね」
 照れ隠しにそう言ってセイカイは笑った。ハンフリーも淡く笑みを浮かべた。
「……勝とうね、ハンフリー」
「……はい」
「勝って、皆が平和に暮らせる国にしよう」
「はい……」
 国民が平和で幸せに暮らせる国を実現させるために。
 ハンフリーはカレッカの村中に目を向けた。そして、戦いが終わったら……いつかこの村の復興に尽力しよう、と思った。



END

一晩で突発的に作った小説です。
ネタは結構前から頭にはあったんですけど。
淡々と見えるように、文の書き方を少し変えてみました。
どうでしょう……?