無常、そして無情 白き竜と成長したかつての少年が、懐かしき以前の同僚達に囲まれている。 皆、この時を待ちわびていたかのように、声をあげ、腕を広げ、フッチを迎え入れた。当時同じ見習いだった者達が、涙を流し、フッチと抱き合って喜びを噛 み締めている。 その輪に竜洞騎士団長が歩み寄ると、鮮やかなほどにザアッとフッチへの道が開けた。 ひざまずくフッチ。ヨシュアが何言かを告げると、フッチは顔を輝かせ、深々と頭を下げた。そんな彼に周りの竜騎士達が声をかけ、頭や体を小突き、場が騒 がしくなって、一旦落ち着いた人の花が再び盛大に咲いた。 その様子をハンフリーは少し離れ た所から眺めていた。 このような光景は何度見てもいいものだ。フッチのことは心から良かったと思う。これで務めは果たした。さて、これからどうしようか ふと、ヨシュアが人垣の中から這い出す如く抜け出してくるのが見えた。彼は誰かを捜しているのか、辺りを見回し……ハンフリーを見つけて軽く手を上げ た。ハンフリーがそれに応えてうなずくと、ヨシュアは彼に歩み寄った。本当はハンフリーが行くべきなのだが、あの人の輪に近寄るのはためらわれたので、そ の場でヨシュアが来るのを待っていた。 ハンフリーの前まで来ると、ヨシュアは「ありがとう」と深く頭を下げた。 「お前には感謝の言葉を尽くしても足りないくらいだ」 ハンフリーは苦笑いを浮かべた。 「やめてくれ……俺は何もしていない。竜騎士に戻る決断をしたのもフッチ自身だ……」 「相変わらずの謙遜振りだな。だがフッチをお前に押し付けてしまったのは事実だし、フッチの決断含め、お前があの子のために尽力してくれたのは明らかだ。 本当に。ありがとう……」 「分かった……分かったから、頭は上げてくれ……竜洞騎士団長に頭を下げられるのは……居心地が悪い……」 「あのなぁ……」 ヨシュアは頭を上げ、少し不貞た顔でため息をついた。 「確かに私は団長だが! 恩を受けた相手に対して礼を言えない男ではないし、第一私はお前とは対等のつもりなんだぞ」 「……」 歳にも歴然とした差があり、地位も全く違うというのに、この団長は平気でそういうことをハンフリーに言う。相変わらず凄い男だと思った。そんなヨシュア と友になれたのだから、光栄と言うほかない。もっともそれを素直に告げれば怒られるのは必至なので、口が裂けても言わないが。 「……それに」 「……?」 突然ヨシュアの声のトーンが下がった。続きを話すのをためらっているのか、目線が伏せられる。 「ヨシュア……?」 「……お前に話しておきたいことがある」 やがてそう告げたヨシュアの顔は険しいものだった フッチを包む歓喜の渦が、ハンフリーの意識から追い出されるほどに。 夜 ハンフリーはヨシュアの自室に 招かれた。出された酒はやはり上等な物で……しかしハンフリーは一口含んだものの、それ以上は進まなかった。一方ヨシュアは何事もなかったかのように平然 と胃の中へ流し込んでいる。 「近々、紋章を手放すことになるかもしれん」 テーブルに酒とつまみが並べられた直後に、雑談をするかのようにあっさりと、そうヨシュアから告げられたのだ。 ハンフリーは言葉を返せなかった。思考が停止したかのように、物事が考えられない。 それからたっぷり、数分は経過しただろうか……ハンフリーはやっと言葉を紡いだ。 「……何故……?」 「手に違和感がある。紋章が私を拒否し始めているようだ。憶測ではないよ。分かるんだ」 「手放したら……どうなる……?」 「さぁ……それは私にもよく分からない。ただ……」 ヨシュアは紋章に目を向けた。 「……先代は急激に衰弱していって、亡くなられたな」 「!」 「止まっていた時の反動が来たのだと思う……そんな顔するな」 ハンフリーの驚きと困惑が混ざった表情を見て、ヨシュアは苦笑した。しかしそんなことを言われても、ハンフリーには心の中で渦を巻く動揺を止められな い。 いつ手放す? いつ死が訪れる? そんな、恐れに近い疑問が心を占める。だが口には出さなかった。口が思うように動いてくれないというのもあったし、そ れにヨシュアとてそこまでは分からないだろう。 全く、予想だにしていなかった。まさかヨシュアが自分より先に逝ってしまうなんて……想像できるわけがない 「……まぁ、近々というのは私の予想であって、実際あとどれくらい持っていられるかは、正直分からんのだ。だからそんな悲観することはないって」 分からないということは、あと二、三日で手放す可能性もあるということだろう……ハンフリーは手に持つグラスを握り締めた。感情が、驚愕と困惑と恐れと いった感情が、内で暴れている。 これほど激しく心を揺さ振られたのはかなり久しい。ゆえに、それ等をどう処理したらいいのか分からなくて、頭が半分パニックに陥っていた。表に出ないよ うにするだけで精一杯だ。 「……すまん……少し……風に当たってくる……」 これでは話もままならない。なんとかそれだけを呟き、ハンフリーは立ち上がった。 「……分かった」 背にヨシュアの声がかかる。まだそれを認識できるのかと、ハンフリーは何故かおかしくなった。 部屋を出て、一番近いバルコニーへと向かった。ほとんど酒が入っていないというのに、足元がおぼつかない。意識が体と結束していない そんな感じだ。 バルコニーへ出て、フェンスにすがり付いた。冷たい夜気をはらむ風に誘われるように深呼吸をする。そこで呼吸すら満足にしていなかったのだと気が付い た。 何回か深呼吸を繰り返すと、感情の氾濫が少しずつ収まってきた。感情そのものが消えていくわけではなかったが、己を見失うという状況は脱した。 どん底に突き落とされた気分だっ た。しかも“再び”という言葉が付随してくるのだから洒落にならない。やっと、落ち着けるかと思っていたのに。これはもう、そういう星の下に生まれてき た、としか言いようがない。 勘弁してほしい 「ハンフリー殿……」 「!」 突然背後から呼びかけられる。振り返ると副団長のミリアが立っていた。 「隣……いいですか?」 遠慮がちに申し出るミリアに、ハンフリーはうなずいて見せた。内心話し掛けられるまで気が付かなかったことに苦々しい思いでいた。そこまで自分を見失っ ていたのだ。 ハンフリーに並んで立ったミリアは、手に持っていた二つのグラスの一方を差し出した。 「お酒じゃなくて、冷たいお茶ですが……よろしかったら」 「……痛み入る……」 それを受け取り、一口飲み込んだ。冷気が内臓を下がっていくのが分かった。ハンフリーが飲んだを見て、ミリアも自分のグラスに口を付けた。 「……ヨシュア様から、お聞きしたんですね……?」 「……ああ……」 「階級順に従い、紋章は私が受け継ぐことになりました」 「……」 「私は……」 そこでミリアは震えるように息を吐く。 「ヨシュア様はずっと団長でいらっしゃるのだと思っていました。そして私は副団長として一生を終えるのだと、ずっと……」 ハンフリーにはミリアの気持ちがよく分かった。自分も同じように思っていたから。 「紋章の継承は何度も繰り返されてきています。だからヨシュア様もいずれは退位なされるのだと分かってはいましたが……まさか私の時にそれが来るなん て……」 事象は永遠には続かない。当たり前で残酷な理。 「……私の父は、物心が付く前に亡くなりました」 おもむろに始まったミリアの身の上話。ハンフリーは黙って聞いていた。 「一人っ子だった私が家族と呼べる人は、あとは同じ竜騎士だった母だけだったのです。でもその母も、私が見習から脱して間もなく……」 「……それは、よく……」 ミリアの母は継承戦争の始めの頃に、非道を働いた帝国兵によって殺された。竜の価値を狙われ、巻き込まれたのだ。諸事情でその母と騎竜をハンフリーが 葬っている。ミリアは弱々しく微笑んで、「その節は」と会釈した。 「私は、母はずっと母なのだと思っていました。私が生まれる前の母を想像できなくて……老い、そして死んでいく姿も想像できなくて。母は昔からずっと、私 がどんなに成長し、変わっても、永遠に何が変わるわけでもなく、母なのだと……思っていました……」 「……」 「だから、母が亡くなったと知らされた時、信じられなくて……こういうことがあるのかと、いえ、これが理なのだと、気付くのに時間がかかりました」 ミリアは自嘲気味に笑った。 「気付いたはずなのに……また思い知らされているのです」 「……それは……俺も同じだ……」 分かっているつもりでも、やはり心の片隅で、ヨシュアは理の外の存在なのだと思い込んでいた。そしてそれは、願望とも言える、儚い思い込みでしかなかっ た 「話を聞いていただき、ありがとうございました。お陰で少し心が落ち着きました」 ミリアは頭を下げ、グラスを受け取って去っていった。娘を部屋に一人放置してきていたのだ、苦笑していた。 夜気に当たり、ミリアの話を聞いて、ハンフリーの心もかなり平静を取り戻していた。自分が抱えていた判然としない不安や悲しみを、ミリアが全部形にして くれたお陰かもしれない。 ハンフリーは深々とため息をつき、ヨシュアの部屋へと戻った。 「……」 ヨシュアが両手で顔を覆ってうつむいている。酒瓶が一本空になっていた。 「……私も、平然としているわけではないんだ……」 やがて疲れきった声音でヨシュアは呟く。 「……ああ……」 ハンフリーはそれ以上、何も言えなかった。 当たり前で残酷な理の前に、ヒトはなす術を持たない。 だが、それでも生きていくことも、また、理なのである END ミリアの母については『絆』を読んでいただければ詳細が分か ります。よろしく。 かなり前から考えていた話です。 竜の紋章がヨシュアからミリアに移ってますからね。 何かあったのだろうと思うのは当然でしょう。 ちなみにこの後、死ぬバージョンと第一階位バージョンがあります。 機会があれば、いずれそれも。 |