幻想水滸伝

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 ささやかな仲間集めの帰り道。
 街道を中心に抱く森の中で、オデッサとフリックは奇妙な男と出会った。
 無造作に伸びた金色の髪と無精髭の男。歳は三十代くらいだろうか。腰には使い込まれていると思われる一振りの……曲刀? を下げている。
 その者は帝国の兵士数人に囲まれ、武器片手に襲いかかる彼等相手に素手で応戦していた。殺意剥き出しの兵士相手に、だ。
 危なげなく確実に刃をかわし、足を払い、敵の勢いを利用して投げ飛ばし、手刀を叩き込み……しかし決して腰の物を抜こうとはしないし、体術を用いても強力な一撃を決めようともしない。
「助けましょうか」
 見かねてオデッサが提案すると、フリックはあからさまに嫌そうな顔をした。
「わざわざいらん騒動を起こす必要ないだろ。たたでさえ俺達は天下に名立たるお尋ね者なのに。だいいち、奴さんが悪いのかもしれないし」
「そういうふうには見えないわ。行きましょ」
 言うが早いかオデッサは、己の細剣を携えて駆け出した。
「オデッサ! あーっ、もう!」
 仕方なくフリックも腰から片手剣を抜いて加勢に入る。
「なんだお前等!?」
 突然の乱入者に帝国兵は動揺した。その一瞬の隙を突くように二人は剣をひらめかせる。
「たかが二人の乱入でここまで動揺するなんて、なっちゃいねーなぁ」
 そうぼやきながらフリックは最後の兵を斬り捨てた。あっという間に片が付いた。
「仕方ないわ。地方の末端兵士だもの。今の軍はそんなものよ」
 だから二人だけで旅ができる。
「そうだけどさ。なんかホント哀しくなってくる。今のこの国をこんな奴等に任せてんのかと思うと」
「だから私達が頑張ってるんでしょう」
「そうでございますな」
 フリックは肩をすくめた。心の中で、本当はオデッサにあまり危険なことはさせたくないんだがなぁ、と呟く。
 オデッサはフリックに苦笑いを浮かべて見せ、金髪の男に向き直った。
 男は無関心そうな顔で二人を見ていたが、オデッサと目が合うと背中を向けてさっさと立ち去った。
「あら」
「なんっだよ、礼なしか!」
「まあ、でも、助けを求められたわけじゃないしね」
「そりゃそうだが、礼儀ってもんがあるだろ。だいたいその腰のモンは飾りかっつーの!」
 腰の物……オデッサは男の後姿を思案げに見つめた。男は決して剣を抜こうとはしなかった。あの体さばきから、かなりの手練であることがうかがえる。しかし自ら戦おうとはしなかったし、決定打を与えようともしなかった。
 それに。オデッサは男の顔を思い出した。
 それに、あの人の目。
 確かに前のものを認識しているのに、何も見ていないような、虚ろな眼差し――





 つい先程までは清々しい青空が広がっていたのに、気が付くといつの間にか泣き出しそうな暗雲が垂れ込めていた。
「なかなか雨宿りにちょうどいい木がないわねー」
「街道沿いなら雨宿り用の小屋があるんだけどな」
「今更戻っても間に合わないわ」
「帝国兵に会いたくないしな」
 そう言ってフリックはため息をつく。
 現在、帝国内では街道パトロール強化がなされていた。魔物や賊から旅人を保護しようというキャンペーンを実施中なのである。お尋ね者としては厄介極まりない。自分達を知らぬ兵なら旅人のフリでやり過ごせるが、知られていたら目も当てられない。
 人が通ってしかるべき所で起こした騒動は、余計な騒動を呼び込みかねない。故に二人は仕方なく街道から外れて進んでいた。魔物に出会う確率が上がるが、目をつぶるしかない。
「うわっ、降ってきた」
 ぽつりぽつりと落ちてきた雨粒は、瞬く間に土砂降りへと変わった。
「あ、フリック、あれ! 入りましょっ」
 直後オデッサが一際大きな木を見つけ、二人は泥水を跳ね上げながら枝葉の下に駆け込んだ。
「ふいー、なんとか助かったな」
 フリックはマントを外し、バサリバサリと水気を飛ばす。
「ちょっ、フリック冷たい!」
「あ、悪い」
 フリックは向きを変え、再びマントを振り上げ……ふと気が付いた。
 大きな幹を挟んで反対側に、あの奇妙な男がいた。
「おい、オデッサ。あれ……」
「え? ……あら」
 男は目を閉じて腕を組み、幹に背を預けて微動だにしない。
 オデッサは内心舌を巻いていた。こんな至近距離にいるのに、視界に入るまで全く気が付かなかった。そして、確かに目の前にいるのに……なんというか、とても奇妙な感じがする。
「気配を全く感じないな……」
 フリックがぽつりと呟く。
 ……そうだ。気配を全く感じない。目の前にいるのに、見えているのに、気配を感じない。いるのに、いない。変な錯覚に陥りそうになる。
 変な人。でもきっと、かなりの手練に違いない。そして帝国兵に追われるような事情を抱えているらしい。
 オデッサは男に興味を持った。あわよくば味方に引き入れよう、と考えていないと言えば嘘になるが、それでも純粋な好奇心が強かった。
 オデッサが何を考えているのか気付き、フリックは彼女の腕を掴んだ。何も言わず、目で抗議する。オデッサはまっすぐその目を見返した。
 視線が交差する。互いに見つめあい、そして……
 フリックは両手で顔を覆った。
「俺のバカ……」
「甘いわね、フリック」
 凝視勝負はフリックが恥ずかしくなって決着が着いた。愛する女性と堂々と見つめ合えるほど、フリックはそういうことに関して成長していない。
 オデッサはそんなフリックを尻目に、上機嫌に男に話しかけた
「お互い、今日は天気に恵まれなかったわね」
「……」
 男は何も言わない。見向きもしない。完全無視だ。
「しかも帝国兵に目を付けられるなんて、災難だったわね、ホント」
「……」
「それにしても、何故追われていたの?」
「……」
「オデッサ、もうやめとけ。相手にするだけ無駄だって」
「雨、早く上がるといいんだけどね」
 オデッサは懲りない。男は無反応。フリックは肩をすくめた。もう知らん。
「私も帝国に追われている身でね。放っておけなかったのよ」
 ああオデッサ、余計なことを……内心フリックは頭を抱える。オデッサに彼の心の声が聞こえていたら、もう知らないんじゃなかったのかと突っ込んでいそうだ。
「帝国の旅人保護キャンペーン、私から見ればいらぬお世話ってトコね。あんなのがなければ、もう少し安全に街道を歩けるのに」
 帝国からすれば、お尋ね者まで保護するいわれはないだろうと、とフリックは再び突っ込む。
「でも、こんな森の中でまで帝国兵と出会うなんて、あなたもツイてないわね」
 突然男は剣の柄に手をかけた。
「お、おおおおおお、お前っ、いくらうるさいからって、剣を抜くこたぁねぇだろ!!」
 オデッサを背後から抱きすくめ、フリックは慌てて距離を取る。
「違うわフリック、落ち着いて」
「え?」
 男は目を開けていた。しかしオデッサを見ているのではない。何か、ここではないものに意識を集中しているようだ。
「……なんだ?」
 フリックは注意深く男を観察する。オデッサは周囲を見回した。
 雨音が辺りを支配する。
 やがて、その音に別の音が混ざり始めた。塗れた地面を踏む音。いくつも。
 不穏な気配が漂う。
 魔物!
 オデッサとフリックは咄嗟に剣を抜いた。それよりも早く、男は雨の中へと駆け出していた。
 鞘から剣が姿を現す。曲刀という軽い武器ではない。片刃の大剣。
「……大刀……」
 オデッサが呟いた。男の剣は、大刀という言葉が似つかわしい。
 大刀は木々の間から姿を現し跳びかかってきた魔物を、一刀の元に斬り伏せた。
 フリックは唖然とした。大刀の斬れ味もさることながら、乗せる力も尋常ではない。
 相手は駿足を得意とした魔物。故に体の大きい男は自ら追おうとはしない。襲いかかる魔物の攻撃を最小限の動きでかわし、ベストタイミングで大刀を振るい、倒す。
 自慢の早さで次々と躍りかかる魔物全てをかわすことはできず、所々傷を負うものの、さしたるダメージではないようだ。男は翻弄されることなく、己のペースで確実に敵の数を減らす。最初六匹いた魔物は、あっという間に一匹になっていた。
 さすがに窮地を悟ったのか、魔物は男から距離を取る。一瞬逃げる素振りを見せたが、握った剣をだらりと下げているオデッサに気付き、標的を替えて襲い掛かった。
 大刀が間に合う距離でも素早さでもない。男は視線だけでそれを追った。
 オデッサは間合いを測り、剣を構える。だが彼女が剣を繰り出す前に、フリックが仕留めた。
「別に良かったんだけど……でもアリガト」
「オデッサは前に出なくていいんだよ」
 魔物の体毛で血を拭い、フリックは剣を収める。オデッサはフリックの物言いに呆れたような息をつき、同じく剣を鞘に戻した。
 刹那。
 男がオデッサに向けて大刀の切っ先を突き出した。
「!!」
 フリックがオデッサをかばうように、とっさに前に出るのが精一杯だった。
 大刀の切っ先は――二人の頭上の幹に突き刺さった。
 大木の枝から、二人の背後に飛び降りようとしていた黒ずくめの男の腹を貫いて。
「お……のれ……大刀、の……」
 そううめくように呟き、黒い男は絶命した。
「な……何、コイツ……」
 フリックは愕然とした。存在に全く気が付かなかった。
「暗殺部隊」
 オデッサは顔をしかめる。
「果たして、私を狙ってきたのかしら。それとも」
 オデッサが視線を転ずると、男は大刀を引き抜いたところだった。
 その大刀が――突然地面に落下する。
「!?」
 音に驚いてフリックも目を向けると、男は口をおさえて走り出した。そして少し離れた木陰にしゃがみ込み……
「……吐いてる?」
 男は胃の中身を戻していた。内容物が胃酸になっても吐いていた。
「フリック、大刀」
「へ?」
 フリックの反応を待たずにオデッサは歩き出した。腰に下げていた水筒を掴み、男の嘔吐が一段落したところで差し出す。
 手の甲で口をおさえ、男はオデッサを見上げた。
「吐いたままでは喉を痛めるわ。ま、大して入ってないけど」
 そう言って微笑んで見せると、男はわずかに目を細めて水筒を手に取った。一度口の中をすすいで吐き出し、後は一気に飲む。
「ほら、よっ!」
 フリックが大刀を男に放り投げた。
「重いっての。よくこんなモン振り回してられんなぁ」
「鍛え方が違うのよ。見れば分かるでしょ」
 男の体は立派に鍛えられていて、無駄な脂肪は一切ない。しかし顔色が悪く、決して健康的には見えない。
 ――これは、彼の内面を表しているのかしらね。
 男は空になった水筒の口をハンカチで拭き、オデッサに突き出した。
「落ち着いた? 大刀のハンフリー殿」
「!」
 男が体を強張らせた。
「あれっ? オデッサ知ってんのか?」
 フリックが驚きの声をあげる。男は眉間に寄せたシワを更に深くして、オデッサを凝視した。
「元・赤月帝国百人隊長ハンフリー=ミンツ殿。違う?」
「帝国の軍人かよ!?」
「元ね。私はオデッサ。解放軍リーダーの、オデッサ=シルバーバーグよ」
「シルバー……」
 男の目が驚きの色を宿した。オデッサは自分の名前が……というよりシルバーバーグという姓が、この男――ハンフリー=ミンツにとって特別の意味を持つことを知っていた。案の定、ハンフリーは心の底から湧き上がる感情を押し殺すような、苦しそうな表情で顔を背けた。
「人を斬るのが、恐い?」
 オデッサが尋ねると、ハンフリーは目を閉じた。思案するような、拒絶するような、そんな面持ちで。
「悲惨な事件だったものね」
「事件……?」
 フリックにはなんのことか分からない。
「カレッカの悲劇。聞いたことくらいあるでしょう?」
「……すまん。さっぱり」
 フリックは潔く無知を認めた。オデッサはため息をつく。
「解放軍副リーダーなら、少しぐらい帝国の歴史勉強しなさいよ……」
 副リーダーっつったってなぁ。フリックは内心自分がため息つきたいと思った。俺が副リーダーを引き受けたのは、いつでもオデッサの傍らに――そこまで考えてやめた。心の中で思ったって伝わらない。口で言っても伝わらない。今この場で議論しても仕方がない。
「で、カレッカの悲劇っていうのはね……あ」
 突然ハンフリーが立ち上がり、二人に背を向けてふらふらと離れていく。
「ハンフリー殿! 私達に力を貸してもらえないかしら?」
 オデッサが叫びかけると、ハンフリーの足がぴたりと止まる。しかし振り向きはしなかった。
「……先程のことは感謝する。が……俺に構わないでいただこう……」
「それは私がシルバーバーグ家の人間だから?」
「……関係ない……」
 ハンフリーは再び歩き出した。
「いいのか? 行っちまうぞ?」
 フリックが言うと、オデッサは首を振った。
「今は何を言ってもダメね。聞き入れてもらえないわ。でも」
 いずれは仲間にしたい。彼は分かっているはずなのだ、帝国の現状が。このままではいけないということも。あの事件で痛いほど思い知らされているはずだから。
 元・赤月帝国百人隊長ハンフリー=ミンツ。彼がどのような人物かは噂で聞いている。そこから描いたイメージと実際の彼は、決して違わぬはずだ。ハンフリーを仲間に迎え入れることができれば、解放軍の大きな助けになることは間違いない。
「……追いかけるのか?」
 オデッサの願望を悟り、フリックが尋ねる。オデッサはにっと笑った。
「もちろん」
 雨は既に上がっており、再び青空が見え始めていた。





「継承戦争の後、都市同盟軍と小競り合いがあったのは知ってるわね?」
「ああ。それはさすがに知ってる」
 フリックがうなずく。
「結構長引いてね。一進一退の攻防が続いた。両軍とも疲弊して、このままじゃ共倒れになるんじゃないかって思われたくらい。そこで、帝国軍・軍師で私の叔父であるレオン=シルバーバーグがある作戦を提案したの。それはカレッカを占領した同盟軍を奇襲するという内容だった」
「それがどう悲劇なんだ? 住民を巻き込んで死なせちまったのか?」
 オデッサはため息をついた。
「その方がまだマシだったかもしれないわね……奇襲作戦とは表向き。でも本当は、帝国軍がカレッカの住民を皆殺しにし、その罪を同盟軍になすりつけるものだった」
「な、なんてことを……」
「そして作戦終了後、カレッカは同盟軍によって壊滅させられていたと報告。怒りによって奮起した帝国軍は見事同盟軍を押し返し、北方を死守したというわけ。真実を知っているのは、ごく一部の人間だけよ。世間では同盟国に滅ぼされたことになってる。今はまだ」
「それがカレッカの悲劇……」
「いずれは明るみに出るでしょうけどね。帝国一の大罪として」
 ここでオデッサはいったん息をつく。
「その作戦にハンフリー=ミンツが参加していたの。奇襲作戦だと信じて。その最中に自軍の指揮官を斬り殺し、反逆者のレッテルを張られた――同盟軍のスパイ扱いにされているけど、ただたんに許せなかっただけなんでしょう。だから上官を斬った」
「じゃあ、帝国兵に対して剣を抜けなかったのは……」
「知らなかったとはいえ、本来なら守るべきはずの住民を、罪無き民達を自らの手で殺してしまったんだもの。それも大勢。トラウマにもなるでしょ。そして、そのことと正面から向き合わなければ、いつまでたっても治らないわ」
 ――二人で囲んでいる焚火がはぜる。フリックは炎に照らされたオデッサの顔を見た。
 オデッサは炎を見つめていた。オレンジ色を映す彼女の瞳は、力を帯びていた。何の迷いもなく、帝国の未来を憂う目。解放軍リーダーの目。
「……オデッサは強いな」
 嫉妬の相手が帝国とは、なんて間抜けな話だ。しかし解放軍リーダーとしての姿も美しく、彼女の魅力であることは否めない。
 オデッサはドキリとしてフリックを見た。既に彼の目線は火に注がれている。何故か一瞬フリックを遠く感じて動揺した。
「そ、んなこと……ないわよ……解放軍リーダーでいることで、逃げていたりも……するのよ……」
 先程の姿は何処へやら。オデッサは顔を伏せてぼそぼそと呟く。頬が熱いのは決して焚火のせいではない。
 フリックはオデッサを見た。彼の困ったような微笑みが――一変した。
「分かってんじゃねーか!」
 目を据わらせて喰ってかかる。オデッサも瞬時に反撃に出た。
「あっ、珍しく人が素直になってあげれば、そうやって調子に乗って!」
「こっちがどれだけアンタのことを想ってるか分かってないだろ!」
「わ、私だっていろいろ大変なのよ! 一つのことだけに集中できるわけない……」
 突然オデッサは黙り込んだ。フリックも口論を頭の隅に追いやった。
「鳥の鳴き声がやんだ」
 今さっきまで聞こえていた夜行性の鳥の鳴き声が、ふいに消えたのである。
「服、まだ完全に乾いてねぇのに」
「何もせずに殺されるよりマシでしょ」
「そりゃそうだけどさ」
 言いながら二人は剣を抜く。フリックは焚火に砂をかけて火を消した。辺りを暗闇が支配する。
「行きましょ」
 二人は比較的木が密集している方へと走った。これで狙撃が回避できる。この薄闇の中で狙うなど、エルフでなければ無理だ。そして、敵と対峙しなければ一番いいが、ぶつかった時にはせめて接近戦は可能になる。
 相手が魔物であったなら、まだ楽だった。火を灯したまま、あの場で戦えたから。夜行性の生き物は明かりに弱いし、狙撃などという高等手段を持つ奴など、この辺ではほとんどいない。
 しかし敵は十中八苦人間で、しかも殺気立っている。証拠に鳥が鳴きやんだ。森の空気を乱すのは、よそ者に他ならない。
 夜盗か帝国兵かは分からないが(どっちも似たようなものだが)、明らかに自分達を狙っている。
 ――いえ、もしかしたら“彼”目的かしら。たぶん私達はそんなに離れてはいなかったはず。ああ、でもこれで離れることになるのかもしれないわね。口惜しい。
「オデッサ」
「何?」
「どうやら俺達のことを分かって追ってきてるみたいだな」
 後方から、微かに足音が聞こえる。
「……みたいね。しかも、結構いるわ」
「昼間のパトロール兵とは違うんだろうな」
「簡単には倒せないでしょうね。でも暗部はいないみたいだから助かったじゃない」
 いれば焚火を囲んでいた時点で何かあったはず。雨の中での失態を繰り返さない自信はあったが、いないに越したことはない。
「最近、帝国と忍達の関係がかんばしくないらしいから」
「詳しいなぁ」
 フリックが感心して言うと、オデッサは呆れた表情で青い男を見た。
「当たり前でしょ。何が私達に有利になって不利になるか分からないもの。そういう情報は知っておかなきゃ。しっかりしてよ副リーダー」
 しまった、墓穴を掘ったとフリックは反省した。
 ふと。
 一瞬後方が光ったような気がした。
「紋章!?」
 二人はとっさに左右に分かれて跳んだ。その間を稲妻が疾駆する。それは木に衝突し、光と衝撃波を辺りに散らした。
「きゃああっ!」
「オデッサ!?」
 巻き込まれてオデッサは吹き飛ばされた。そのまま地面に叩きつけられる。
「いったぁ……」
「大丈夫か!?」
 フリックはオデッサに駆け寄った。彼の手を借りてオデッサは立ち上がる。
「まぁ、なんとか……でも」
 オデッサは顔をしかめながら辺りを見回した。足止めを喰らった一時の間に、帝国兵に囲まれてしまった。
 敵の数は6。一個小隊だ。昼間のとはレベルが違うとすぐに分かった。
「感付かれたのは予想外だったが……とうとう捕まえたぞ、反乱軍め!」
 二人に剣の切っ先を向け、小隊長が叫ぶ。
「……どーして俺達がここを通るって知られるかな……」
 フリックがささやく。
「動きを知られてるのかもしれないわね」
「どーやって?」
「……見張られてたりして」
「勘弁してくれよ……」
 実際は解放軍に紛れ込んでいるスパイが情報を漏洩しているのだが……それはまた別の話。
「貴様等の命もこれまでだ! かかれぇっ!!」
 小隊長の号令に従い、兵が各々武器を構えて包囲を狭める。うち二人がそれぞれオデッサとフリックに向かった。
 攻撃を受け流し、剣を繰り出し、かわして、刃を交差させ。
 オデッサもフリックも内心舌打ちしていた。一撃で仕留められないのが厳しい。しかも少しでもスキを見せれば、攻撃のチャンスをうかがっている他の兵士達に斬られてしまう。
 フリックが一人を倒し、新たな兵士を相手にする。オデッサはまだだ。こっちをかわせばそっちが来る。あっちをいなせばこっちから来る。逃げ道を塞ぎ、包囲しながら、入れ替わり立ち代り殺気が牙を剥く。
 まずい。思った以上に腕が立つ。二人で突破できるか?
 ……いや、突破しなければ。こんな所で志を断たれて……たまるか!
 オデッサの細剣が敵の喉を貫いた。すぐ様抜いて背後に迫っていた剣を払う。
 フリックが背中を合わせた。
「大丈夫か?」
「まだまだ大丈夫よ。こんな所で死んでられないわ」
「同感!」
 剣を振るう。今のところ小隊長は傍観を決めているので、実質敵はあと三人。
 ――と思いきや。
「雷が行くぞ!」
 突然何者かに叫ばれ、二人はその場から跳んだ。直後立っていた付近に落雷。
 オデッサは小隊長を睨んだ。魔法はこの男か……!
「邪魔しおって、裏切り者が……っ!」
 忌まわしげに小隊長が吐き捨てた。周囲を見回して声の主を捜す。
 ハンフリーが助けてくれたのだと、オデッサはすぐに気が付いた。だが彼は姿を現してはくれない。
 フリックが小隊長に向かっていった。小隊長はすぐに応戦する。反応が少し遅れたからといって易々と斬られたりしないのは、やはりそれなりの実力を持った小隊長ということか。オデッサは一人で三人を相手にしなければならなくなった。
 ハンフリー、近くにいるのなら助けて欲しい。叫んで魔法を回避させてくれたのだから、中途半端なことはしないで、出てきて――
「ハンフリー!! 私の声が聞こえるのなら、剣を抜きなさい!」
 三人と剣を交えながら、オデッサは叫んだ。
「あなたは同じ過ちを犯し続けるつもり!? 救えるはずの命を見捨てるつもり!?」
 兵士の刃がオデッサの体をかする。
「オデッサ!?」
 フリックはオデッサに注意を向けた。瞬間、小隊長の剣が迫った。咄嗟に体を捻ったが、肩口を浅くえぐられた。
「くっ……」
「余所見とは、見くびられたものだな! そら、次々行くぞ!!」
「民を救える力がありながら、目を逸らし続けるなんて卑怯よ! 死んでいったカレッカの民に失礼だと思わないの!?」
 戦いが明らかにおろそかになっていても、オデッサは叫ぶのをやめなかった。
 届いて欲しい。気付いて欲しい。私の思い。あなたのすべきこと。
「屍の如く無意味に生を重ねるならば、いっそのこと死んでしまえ!!」
 死という言葉が魔法と化したか、細剣の切っ先が兵士の心臓に吸い込まれるように入った。
「何故カレッカの民が死んだのか思い出すのよ! ハンフリー、戦いなさい!!」
 刹那、剣の切っ先がオデッサの目前に迫った。
 オデッサは時が止まったように感じた。
 死ぬ、という思いは何故か全くなかった。
 シュンッ、と風を切る音がして。
 短剣が敵の剣持つ手に刺さる。
 剣を手放す兵士。オデッサはすぐに反応して細剣を一閃させた。兵士は首から血飛沫を上げ、再び向かってくることはなかった。
 顔にかかった返り血を手で拭い、オデッサは短剣が飛んできた方へと目を向けた。
 金髪の、無精髭の男が立っていた。オデッサはすぐに敵へと視線を戻す。あと一人。ハンフリーを見張っている必要はない。彼は剣を抜いてくれる。オデッサは確信していた。
 ハンフリーは大刀を抜き、小隊長へと歩いていく。彼を認識したフリックは小隊長から離れ、オデッサの加勢に向かった。
 小隊長は目を見張った。ハンフリーの静かな気迫に気圧されたと言ってよい。そして彼はその事実を認めたくなかった。
「誰であろうと俺様の敵ではないわ!!」
 叫ぶことで己を奮い立たせ、ハンフリーへと立ち向かう。
 勝負はすぐに着いた。
 ハンフリーの大刀は迫ってきた刃をあっさりとへし折り、驚きで一瞬動きを止めた小隊長の体を斬り伏せた。
 間もなくオデッサの方も残りの兵士を倒し、森は再び静寂に包まれた。





 オデッサは、口元を押さえて懸命に吐き気を我慢しているハンフリーに歩み寄った。
「旦那、水いるかい?」
 フリックがからかうように言う。深く息を吐き、ハンフリーは微かに首を振った。
「ありがとう。本当に助かったわ。でも、どうしてここへ?」
 捜し、追いかけていたのは自分達の方。ハンフリーは関わり合いになりたくなかったはずだ。しかし彼はここに来て、助けてくれた。
「……帝国の上級兵達がアンタ達を探しているのを見かけた……明らかにアンタ達目当てでここへ来ていた……」
「で、心配になって来てくれたわけだ。意外とお人好しだな、アンタ」
「……」
 ハンフリーは口を閉ざした。しかし今、彼はしっかりと二人を見ている。
「じゃ、改めて……ハンフリー殿。我等解放軍の力になっては戴けないかしら?」
 ハンフリーはオデッサから視線を外し、己の手を見下ろした。
「まだ……人に剣を向けるのが、怖い?」
「……」
 ――違う。ハンフリーは顔をしかめた。彼が怖いのは、選択すること。何故なら継承戦争でバルバロッサ=ルーグナーを選び、カレッカ壊滅に関わってしまったから。自分の意思など運命はいともあっさりと無視する。あがいても、力は及ばない。
 己の存在に価値などなく。無力で……しかし壊すのは容易くて。何かを選び、進めば、因果が付いて回る。因果は時として残酷な運命を引き寄せる。それが、怖いのだ。だから今まで、あらゆるものに背を向けてきた。
 しかし、完全に心を殺すことはできず……気付くと選択せずにはいられなくて。オデッサ達を助けるために大刀を抜いた。
 そして再び選択を迫られる。
 心は消せない。何を忌むべきか、本当は分かっている。だから、背を向けるか解放軍に助力するか、どちらかを選ぶなら後者だ。分かっている。
「それとも――未来が恐い?」
 オデッサが再び問う。
 ――そう、怖いのは未来だ。解放軍の一員となり、その結果、再びこの手が罪なき何かを失わせることになってしまったら――
「……人は同じ過ちを繰り返す生き物だと言うわ。そして、歴史は繰り返すとも」
 オデッサは言う。ハンフリーは目を閉じ、拳を握り締めた。その通りだ。
「……でもね。あなたは大丈夫よ」
 自信たっぷりにオデッサは言い切った。ハンフリーが再び目を向けると、彼女は微笑んだ。
「だって、あなたは知っているもの。もう、無知だった以前のあなたではないから、大丈夫よ」
 それに、とオデッサはいたずらっぽく笑う。
「つまずいたら、その時は皆一緒よ。仲良くコケましょ」
 すかさずフリックが口を挟んだ。
「俺はオデッサを連れて逃げるぞ」
「……なーんで、水を差すようなこと言うかしら、フリック」
「嘘でもそんなことは言えない」
「言わなくていいから黙ってて」
「……」
 オデッサとフリックの応酬を眺めながら、ハンフリーはこの二人のことを眩しいと思った。薄闇に包まれた自分の世界で、彼女達は鮮明に浮かび上がっていたから。
 二人に付いて行けば、少しずつ霧が晴れていくのかもしれない。それはとても新鮮で、魅力的に思えた。
 絶望の中にいながら、それでも心の何処かで諦めきれなかったのだろう。

『もう、無知だった以前のあなたではないから、大丈夫よ』

 オデッサの言葉が頭の中でこだまする。全てを捨て去るつもりなら……もう一度、もう一度だけ、戦ってみようか――
「えーっと……で。ハンフリー殿、どうかしら」
 オデッサは今一度問い掛けた。
 ハンフリーは、決断した。もし再び大罪を負うことになるならば、その時は潔くこの身を償いのために捧げよう。
「……オデッサ殿……」
 ハンフリーは右拳を胸に当て、頭を垂れた。
「我が剣、今一度平和のために……どうか、解放軍の末席にお加え下さい……」
 オデッサは満足げにうなずいた。
「あなたの志、確かにお受けしました。共に民の解放を成し遂げましょう――ってことで、これからよろしくね、ハンフリー殿」
 満面の笑みでオデッサが手を差し出す。ハンフリーはそれを握り返した。
 こうして解放軍は新たに仲間を手に入れたのだった。
「じゃ、話もまとまったことだし、移動して野宿しなおそうぜ」
「……だからフリック、場の雰囲気考えてってば……」
「帝国兵の死体の側に長居して、雰囲気も何もないだろーが」
「確かに危険だけど……もー」
「モーでもブーでもいいから、さっさとずらかろうぜ」
「はいはい」
 オデッサはハンフリーを見上げた。
「じゃ、行きましょうか」
「はい……」





END
以前作った初期解放軍コピー本『志』より。
書いたら予想以上に長くなってびっくりした記憶があります。
ハンフリーさんが無精髭と伸びかけの金髪なのは、ちょっとこだわり(笑)
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