憎悪の行き場 



 目が合った。
「!」
 互いに時が止まる。しばらく逸らすことができなかった。
 その様子に気がついたジョウイが不思議そうにキサラギを見る。そして目線の先にあるものを見て――同じように硬直した。
「ラウド……」
「えっ?」
 ジョウイの呟きでナナミもやっと気が付き、あっと声を上げる。
 3人が立ち寄った小さな村カレッカで見かけたのは、元ハイランド・ユニコーン部隊長のラウドであった。
 ラウドは、3人が見慣れたハイランドの軍服ではなく、一般農民の出で立ちをしていた。肩には鍬まで担いでいる。不釣合いに腰から剣を下げていた。
「何故、彼がここに」
 ジョウイが再び呟く。ここはトラン共和国の田舎に位置する村カレッカである。商業都市キーロフが南にあるが、それより以北は魔物に荒らされた農業 地帯だ。そんな場所に元ハイランドの兵士が、何故……
「お兄ちゃーん!」
「!」
 ふいに、距離を隔てて緊張の糸を繋いでいた両者の空気を、一人の少女の声が打ち消した。ラウドの顔が声の主に向けられる。
 彼の表情が、今までの緊迫した雰囲気を否定するかのようにほころんだ。
「おい、左左! どっちに向かって呼んでんだよ」
 少女はラウドに横顔を向けて兄を呼んでいた。彼女の周りにいた子供達がわっと笑い出す。
「えっ、嘘! やだ、もー、騙したわね!」
 少女は慌てて左に向き直る。……その目線が定まっていなかった。
「あの子」
 キサラギの記憶から、一人の少女が浮かび上がった。盲目の少女。キャロにいた。確か兄がハイランドの兵士をしていると聞いたことがある。
「そうか、それがラウドだったんだ」
 視界の中で、ラウドが笑いながら少女に駆け寄る。
「? 何、何? 何がラウドなの?」
 義弟の呟きの意味が分からず、ナナミが問う。
「キャロに盲目の女の子がいたの覚えてる?」
「あ! そういえばいたね。皆あまり関わるなって言うから、遠目から見るだけだったけど」
 キャロの大人達は口を揃えて子供達にそう教えていた。盲目の少女には関わるなと。少女はハイランドの兵士や、その家族達とよく一緒にいた。
「そうか、ラウドの妹だからだったんだ」
 ナナミが納得して言った。根性の曲がった軍人の関係者とは、極力関わりを持つなということだったのだ。だが、ラウドはともかく、少女自身は純粋ないい子 なのだと、話をしたここがあるキサラギは知っていた。今目にしている少女は歳をいくらか重ねてはいるが、抱いたイメージと全く変わりない。
 ――その少女は笑顔で兄に花輪を手渡していた。
「私が作ったの。綺麗に出来てるかな?」
「すごいじゃないか。皆の中で一番綺麗だぞ」
「やーい、ラウド兄ちゃんの兄馬鹿ー」
 子供達が笑う。当然だろと言ってラウドは受け取った花輪を頭に被った。
「どうだ、似合うだろ」
「似合う似合うー!」
 笑いながら子供達が答える。
「ふっ、やっぱりな。ま、俺みたいなカッコイイ男にゃ、なんでも似合うんだよ」
 大の男が頭に花輪を被ってカッコつけている。そんな滑稽な姿に、子供達からは笑い声が絶えない。
「……なんか、イメージ違うね」
 ナナミが呟いた。今見せられているラウドは、何も知らなければ気のいいお兄さんにしか見えない。だが実際には、ユニコーン部隊壊滅の手引きをした非道の 男であるし、その後の態度も尊敬に値する人物では全くなかった。
 ――そんなラウドがルカ=ブライトにひたすら媚びへつらっていたのが、盲目の妹の目を治す為だったのだと思い至ることができたのは、自分だけなのだろう なとキサラギは小さくため息をついた。一度だけ少女と話ができた時に、兄が出世して目を治してくれると言っていたと聞いた。
「どうしたの、キサラギ?」
 ため息を聞きとがめたナナミが尋ねる。
「ううん、なんでもないよ」
 キサラギは微笑んで首を振った。今更ジョウイとナナミに真実を伝えたところで、意味があるとは思えなかった。ラウドが少年隊含め自分達にしたことは許せ ないし、でも、戦争を経た今となっては、何が正しくて何が悪いのかなんて最早判断できない。そうするにはあまりにたくさんの事柄を目にし過ぎた。
 同盟軍に、自分に、ハイランドに、ジョウイに、そしてルカ=ブライトに、己の信念があったのと同じく、ラウドにもそう言えるものがあったというだけのこ とだったのだと、思う外なかった。
 そんなことを考えていたら、鐘代わりの木板を叩く音がした。それは村中に響き渡る。
「えっ、何、何?」
 ナナミが忙しなく辺りを見回した。キサラギはジョウイと顔を見合わせる。
 ラウドは近くの少年に鍬を預け、妹の頭を撫でて駆け出した。3人が注視していると、彼は村の入り口まで走り、既にそこに集まっていた者達と合流する。 皆、各々武器を手にしていた。
「もしかしてモンスターの襲撃かな」
 ジョウイが言う。
「うん、そうかもしれないね」
 ナナミもうなずいた。
「手伝う?」
 キサラギが提案すると、しかし二人は少し困った顔をした。手伝いたいのは山々だが、ラウドが気になっているのは明らかだった。
「でも、村は全く関係ないよ?」
「うん、それはそうだけど」
 煮え切らない様子でジョウイが答える。
 すると。
「おい、お前等!」
「!?」
 なんと逆にラウドが3人を呼んだ。驚いて振り返ると、ラウドは荒い仕草で手招きをする。こっちへ来いと言っているのだ。他の村人達も3人を見ている。キ サラギ達は互いに顔を見合わせて、駆け寄った。
「お前等も手伝え」
 ぶっきらぼうにラウドが告げる。
「えと、モンスターですか?」
 戸惑いながらキサラギが訊ねると、側にいた若者が肯定した。
「ここは数年前まで魔物に荒らされていた土地でね。ナワバリを奪われたからって、時々襲撃してくるんだよ」
 元々は村だったのにさ、と若者は苦笑する。
「でもこいつらガキだぜ? 使えるのか?」
 いかにも戦い慣れしてますという感じの大男がキサラギ達を訝しそうに見る。
「下げてる武器が飾りじゃなけりゃぁな」
 ラウドが答えた。



 程なくして魔物は、自警団から重傷者や死者を出すことなく退けられた。なんでも、自警団には元軍人が多いのだそうで、優秀な団員が揃っているようだっ た。ラウドもそれに遅れを取ることなく戦っていたことが、キサラギの印象に残った。
 3人がやっと一息つけると思った矢先――
「おっ、なんだなんだ?」
 キサラギの周りに人だかりができた。なんと、ラウドが剣を振りかざしてキサラギに襲い掛かったのだった。
「っ!」
「キサラギ!」
 悲痛なナナミの声が響く。ジョウイが天星烈棍を構えて加勢に走る。
 連続で加えられる斬撃を、キサラギは天命牙双で受け流し、かわした。だがキサラギからは仕掛けなかった。カレッカの大事な村民を、下手に傷付ける訳 にはいかないと思ったからだ。自分達とラウドの因縁に、カレッカは関係ない。
 ――それに。
「……」
 無表情ながらも鬼気迫るラウドの顔に、しかし殺気が感じられなかった。
 歴戦の賜物か、キサラギの視線はラウドの攻撃をいなしながら、無意識の内に絶えず攻撃の隙を捜してしまう。隙は、ない。成長しているのは何もキサラギだ けではないということなのだろうか、それともラウドの実力を知らなかっただけなのか。ジョウイが加勢に入っても、ラウドの強さは変わらなかった。
彼は冷静にジョウイの攻撃を受け止め、払い流し、またはかわしながら、二人に刃を繰り出す。自分が攻撃に移ったらこの攻防は変わるのだろうか? それとも 変わらずラウドは強さを発揮し続ける?
 キサラギは楽しくなって笑みを浮かべた。これは、ゲンカクのじっちゃんに拳法を教わっていた時や、ユニコーン部隊所属時の訓練の楽しさに似ている。キサ ラギは攻撃を放った。ラウドは一瞬驚いた顔をしたが、難なく剣で受け止めた。その顔がにやりと笑みを形作る。
 2対1の攻防が激しさを増して続けられた。
「おー、やれーっ、いいぞー!」
「おおっ、坊主、そこだ!!」
「おら、ラウド押せ押せ!」
 野次馬達が戦いの意味も分からずはやし立てる。殺気がないことに気付いているのかもしれない。困惑しているのはジョウイとナナミだけか。だがこの2人も 楽しいのは分かっている様子。この戦いに意味を見出しているのは仕掛けたラウドだけだろう。だがそんなもの、戦いの後で見つけても遅くはない。
 やがて。
 おおっ、と一際大きなどよめきが野次馬から上がった。ジョウイの天星烈棍が、脇からラウドの首を寸止めで捕えたのだ。
 時が止まったように三者の動きが止まる。荒い呼吸音だけが辺りを支配した。
「――ふっ、くっくっくっ」
 大きくラウドが笑い出した。悪意の欠片もない、心底楽しそうな笑いだった。
「いやーっ、やっぱり2対1じゃ分が悪いか! いやいや、やるじゃねぇか二人共」
 気の良さそうな男の顔で、ラウドは二人の背中をバシバシ叩く。
「ぎゃっ」
「いっ」
 その痛さはナナミに匹敵するもので、キサラギもジョウイも思わず悲鳴を上げた。
「いやぁ、ホントにいい腕持ってるなぁ、お前達」
 感心したように野次馬が言う。
「実はただの旅人じゃねぇだろ」
「へっへー。実は俺こいつらが誰か知ってるぜ」
 他の野次馬が言う。キサラギ達は驚いてそちらを振り返った。
「え、誰だよ?」
「天下の英雄様御一行さ。俺部隊にいたもんね」
「何ー!?」
 こうして3人の素性が知られることとなった――



 トラン共和国カレッカ。辺境にあるその小さな村の、壊滅から復興までの経緯を自警団の一人から聞かされた。
 その男はキルケと名乗り、3人は彼の自宅に招待されていた。
 出された茶を飲みながら、似たような話だと、3人は思った。ラウドはその話を知っているのだろうか?
「さっき……その、僕達を魔物退治に呼んだ人は、リーダーか何かですか?」
 キサラギが訊ねる。魔物の掃討に加われと偉そうに言われたのを思い出したのだ。ラウドと面識があることは避けた。
「ラウドか。いや、この村では新参者の部類に入るかな。だが昔軍人をしていたらしくて、いろいろと助かっている」
「へ、へぇ……」
 ラウドが、役に立っている、と。にわかには信じられない。
「まぁ、元軍人ってのはアイツだけじゃないけどな。ここにはそういう奴等も多い」
「どうしてですか?」
「壊滅に関わった兵士や、その関係者ってのが集まっているからさ」
「なるほど……」
 そこでキルケは苦笑いを浮かべた。
「ラウドにこの村を紹介したのはセイカイなんだ」
「え!?」
 3人は素っ頓狂な驚きの声を上げた。
「セイカイさんって、セイカイ=マクドールさん!?」
 ナナミが尋ねる。
「ああ。実は話はセイカイから聞いていた。君達とのことも」
 苦笑いを浮かべながらキルケは言った。
「……」
「ラウドには盲目の妹がいる。ラウドにとってはそれが何よりも大事で重要なことなんだ。行き場を失ったラウドが考えなければならないのは、妹が腰を落ち着 けられる場所。だからセイカイはこの村に案内した。ここは未だ復興途中で、ああして魔物の襲撃も頻繁に受けるから、戦い慣れた人手が必要だったんだ」
「……妹さんの目は?」
 キサラギの問いに、しかしキルケは首を振った。
「手遅れだったそうだ。そのせいで、一時期ラウドは君達2人を心底憎んでいた時期もあった」
「えっ、なんでキサラギとジョウイが憎まれなきゃならないの!? 二人がラウドを恨むならまだしも!」
「君達がいなければ、巧く出世して大金が手に入り、早々と高名な医者に診てもらえただろう。だが」
「結果として僕達がラウドの道を遮った、と」
 ジョウイが言う。キルケはうなずいた。
「まぁ、いろいろあってな。ラウドも妹の為に生きなきゃならんと腰を据えたのさ。君達への憎しみを心の奥に隠して」
「でも、さっきラウドは」
 キサラギに襲い掛かった。最後まで言わなかったが、ナナミはそう言っている。
「奴なりにけじめをつけたかったんじゃないのか? 殺気なかっただろ?」
「まぁ、それは確かに」
 キサラギがうなずく。
「昔はどうだったとか、言わないでやってくれ。今あいつはここで妹の為に頑張って生きているんだ。もしラウドを憎んでいるのなら」
「分かりました」
 ジョウイが即答した。
「それに今更、誰が何悪いなんて……言えませんし」
 そして寂しそうにそう続ける。
 その頭をナナミが叩いた。
「痛っ???」
「そういうこと言わないの!」
「言いたいことは分かるし、僕も同意見だけど、ジョウイは言っちゃ駄目だよ」
「2人共……うん、ゴメン」
 ジョウイが謝ると、ナナミは腰に手を当てて満面の笑みでよろしいとうなずいた。
「ははは、とにかく、憎しみを忘れろとは言わん。だが表には出さないでくれ。アイツの妹も村の皆も、そこまでは知らないんだ。うまく馴染めているのに混乱 を招きたくはない」
「はい」
 かつて突き付きつけられた過去がどんなに理不尽で、例えどんなにラウドを憎んでいたとしても、それはカレッカの村には全く関係のないことで、もちろんラ ウドの妹にも罪はない。
 それに――ジョウイの言う通り、3人には最早特定の誰か一人を恨み裁くことなど、できなかった。自分達も、誰かに恨まれてもおかしくはなかったから。



END

本当はこの後にラウド視点の話を入れようと思ったのですが、
内容の割に文が長くなってしまったのでここで一旦カット。
それにしてもキサラギのラウドに対する考えをあまり練れませんでしたなぁ。
まぁ、話のメインはラウドで、キサラギとジョウイは脇役なので仕方ないっちゃぁ仕方ないんだけど。
いずれキサラギ視点で本格的に形にしよう。うん。