ルリー、ダークスポーツ財団ビルへ行く

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 突然何故? という思いと気恥ずかしさがあったが、それでもやっぱり嬉しかったのだ。
 だからキッチンの上に見覚えのある包みを見つけ、ルリーは肩を落とした。
 薄い青地に紺色のチェックが入ったバンダナに包まれた、四角い物体。
「嘘ぉ」
 まさかこんなオチを喰らうとは。深くため息をつき、ポケットから携帯電話を取り出す。
 呼び出すのは父だ。コール音5回で出た。
『どうした?』
「今大丈夫?」
『大丈夫だ。どうかしたのか?』
「お弁当忘れてる」
『……あぁ、そういえば』
 そういえばじゃないよ〜、と情けない声が出そうになったが、なんとか抑える。
「んもー」
『すまんな、折角作ったのに』
 電話の向こうで父が苦笑したのが分かった。
 そう、キッチンの上の包みは、ルリーが朝早く起きて作った弁当なのである。父が昨夜突然持っていきたいと言い出したので、料理が苦手ながらも頑張って作ったのだ。
 しかし見事に忘れていかれた。
「ううん、いいよ。叔父さんに食べてもらうから」
 仕方ない。まぁ、叔父さんには次の機会の実験台になってもらうということで。
 ――少し、間が開いた。
『……ルリー、今から持ってきてくれないか?』
「へ? 今から?」
『あぁ。今出ればちょうどお昼頃に着くだろう』
「ちょっと待ってよ。往復代考えたら、そっちの社食で食べた方が安いじゃない」
 なんせ電話の相手は今、ダークスポーツ財団ビルにいるのだ!
 しかし父は娘の弁当にこだわった。
『いや、折角娘が初めて作ってくれた弁当だ。是が非でも食べたいじゃないか』
「……」
 ルリーは閉口した。嬉しいような恥ずかしいような気分だ。今まで放任主義だったのに、ホント突然どうしたんだろう?
『じゃぁ、頼んだぞ』
「……うん」



 後で返ってくるとはいえ、やはり痛い出費である。財団ビルへはそれくらい交通費がかかる。父はそれと娘の弁当を比べて弁当を取るのだ。これにどれ程の価値があるというのか、作った本人には理解できない。
 だって中身は冷凍食品と叔父さんが作った昨夜のおかずの残り物と、スクランブルエッグ……と言えば聞こえがいいが、つまる話は玉子焼きのなりそこねである。それと鮭ふりかけ御飯。やりなれていないだけか、はたまた向いていないのか――できれば前者であってほしい――ルリーは料理が苦手なのだった。それでもやはり、父からすれば価値のある物、なんだろうか。
 ともあれ財団ビルに到着すると、ゲートには既に話が通っていたようで、警備員に笑顔で案内された。それはもう、びっくりするくらい温かい眼差しで。娘が父に手作り弁当を持ってきたのだ、傍から見たら微笑ましいんだろうなぁと苦笑い。正直こっちは少し恥ずかしいんですけど。
 更には、すれ違う人すれ違う人に挨拶や握手を求められたり、捕まっていろいろ立ち話をしてしまったりするのだが、なんだか居心地悪さまで感じてしまう。十代の娘が働く父に弁当を持ってきただけとは言え、ルリーは有名人。仕方ないといえば仕方ないのだが……
 あぁ、そうか。ルリーは内心で納得した。考えてみれば、かつては敵と言っても過言ではなかった相手の本拠地にいるのだ。それこそ仕方ないのかもしれない。
 指定された階でエレベーターを降り、いると言われた所へ向かう。途中のドリンクディスペンサー・コーナーに目的の姿を見つけて、ルリーは心底安堵した。
「お父さん……」
「あぁ、ルリー。ありがとう」
 ルリーは父に弁当を手渡し、深々と息を吐いた。父が苦笑する。
「どうした、疲れたようなため息をついて」
「ものすごい緊張しちゃった」
「来慣れてないからだろう。ご苦労さん。少し遅かったな。何かあったか?」
 父の問いにルリーは乾いた笑いをこぼした。
「途中いろんな人に声かけられちゃって」
「有名人だからな。何せ世界のシルバーキャッスルのオーナーだ」
「世界、ねぇ」
 ルリーは肩をすくめる。そのシルバーキャッスルは今、サッカーしてないんですけどね。
「あぁ、そうだ。忘れるところだった」
 そう言って父は財布から往復代+αをルリーに差し出した。
「いい機会だ。ついでにダークの社食を使ってみたらいい。ここの社食はすごいぞ」
「あー、確かにすごそう」
 だがルリーは乗り気になれなかった。
「一人で他社の社食なんて使えないよ。気まずい」
 ここまで来るだけでも気疲れを起こしたというのに、社食を利用するなんてできるわけがない。
「そうか。なら」
 そう言って父は携帯電話を取り出した。
「?」
「……あぁ、リカルドだ。今大丈夫かい? お昼はもう済ませてしまったか?」
 父が電話の相手にそこまで言ったところで、ルリーは父が何を考えているのか分かった。誰かに付き添わせるつもりなのだ。
「今、娘が来ているんだが、社食を利用させたくてね。支障なければ付き合ってやってくれないか?」
 ほーら、やっぱり。でも誰に?
「……」
 なんとなく、クリーツさんがいいなぁと思った。クリーツなら慣れているので、他の人に比べれば断然気が楽だ。
「ここで待ってなさい。今クリーツ君が来るから」
 やった。内心でガッツポーズ。
「うん、分かった。お父さんは?」
「今から弁当を食べながら仕事の続き」
 そう言って父は苦笑する。
「お弁当くらい、ゆっくり食べたらいいじゃない」
「そうもいかなくてな。二時の会議で使う資料をまとめなければならないんだ」
「……まるでダークの社員扱いね」
 たまの出勤とはいえ、ダークの整備顧問という肩書きは伊達ではないということだ。
 改心する前のダークは、何かあるとすぐリーガーを新品に取り替えて投入してきたため、一体を管理し維持するという技術がまだ幾分拙い部分があるとかないとか。それで父は未だに財団ビルに呼び出されるのである。もしかしたら他にも理由があるのかもしれないが、ダークの機密に関るため、ルリーの耳には入らない。
「まったくだ。まぁ、その分もらうものはもらっているがね」
「ぜひともそうして」
 父ならばギロチオーナーに直訴できるだろう。取れるものは取っておくに越したことはないから、大いに請求してほしいと思う。
「じゃぁな。気を付けて帰りなさい」
「うん。お父さんも頑張ってね」
「あぁ、ありがとう」
 手を振って父を見送る。どれくらいでクリーツが来るか分からないので、ドリンクディスペンサー前のベンチに腰を下ろして待つことにした。
「お、噂を聞いて来てみれば」
「ホント、シルバーのオーナーだわ」
 途端にダークの社員に見つかった。
「あ、ども、こんにちは……」
 スーツ姿の若い男が一人と作業ツナギの若い女が一人だ。ルリーは少し緊張しながら挨拶をした。
「こんにちは! ね、ね、握手してもらっていい?」
 美人さんが輝かしい笑顔で手を出してくる。
「あ、はい」
 ルリーが立ち上がってそれに応じると、握手の直後に抱き寄せられた。
「わ!?」
「やっぱ可愛いわ〜。実は昔から密かに応援してたのよねー」
「は、はぁ、どうも……」
「おいおい、お前ばっかりズルイぞ。俺にも握手させてくれよ」
「仕方ないわねー」
 やっと解放された。今度は男と握手。「お会いできて光栄です」と男。こっちはさすがに握手だけで済んだ。
 と思ったら、また美人さんに抱き締められる。しかも今度は頭をなでこなでこ付き。あの、胸、デカ……
「ねーねー、お昼御飯食べた? まだなら一緒にどうだい?」
 男に誘われるが、胸に圧迫されて答えられません。
「あら、ダメよ。私と一緒しましょ? こんな奴と一緒にいたら穢れちゃうわ」
「穢れるとはなんだよ失礼な」
「ホントのことでしょー? ね、ね、洋食がいい? 和食がいい? それとも中華いっちゃう? ファーストフードでもいいわよ。ルリーちゃんの好きなの行きましょ」
「俺、おごっちゃうよ」
「あ、いえ、あの」
 当人を置いて話が勝手に進みそうだったので、なんとかルリーは声を出した。と言っても、展開が急すぎて思うように言葉にならない。しかもルリー“ちゃん”……フレンドリー過ぎてこちらがどう応えればいいか判断つかず、頭がパニックを起こしている。
「あ、もしかして誰か待ってた?」
 やっとルリーを解放し、女が問う。どうやら察してもらえたらしい。
「え、誰?」
 と男。
「俺だ」
「!」
 答えた声は。
「クリーツさん」
 廊下を悠然と歩いてきたスーツの男を、ちょっと安心したような声でルリーが呼んだ。
「クリーツかよ!?」
 途端に何故か驚く男。女も再びルリーを抱き締めた。しかもクリーツから守るように。
「駄目よ! アイツだけは駄目!」
「奴に近付いたら最後、取って喰われるからな!」
「あのなぁ」
 クリーツは目を座らせた。ルリーは再び圧迫されて何も言えない。
「お前等は人のことをなんだと思ってるんだ」
「悪い虫」
「即答かよ」
 男と女の揃った答えにクリーツはこめかみを押さえる。
「だって、アンタの戦歴聞いたら誰だって思うわ」
「人が想いを寄せてた女をかっさらっといて何を言うか」
「昔の話だろ。それにアレは向こうから……」
 そこでクリーツはルリーが聞いていることに思い至ったらしい。顔を少し赤らめて咳払いをした。
「ともかく。今回は俺に譲ってもらおうか。Miss.銀城にはお礼もしなければならないし」
「え、どうしたのよ?」
「また今度な」
 女の問いをクリーツは肩をすくめて流す。仕方ないわね、と女はルリーを放した。
「じゃ、今度は私と一緒に御飯食べようね」
 そう言って女が手を差し出してきたので、ルリーは「はい」と答え、笑顔で再び握手を交わした。
「俺も忘れないでくれよ」
 と男。彼とも握手をし、ルリーは手を振って二人と別れた。
「すみません、騒々しい奴等で」
 苦笑しながらクリーツが友の非礼を詫びる。
「いいえ、とても楽しくていい方々ですね」
 戸惑いはしたが、悪い気はしない。実は内心、ダークにそういう人間が働いていたことに驚いていた。
「さ、早速行きましょうか」
「はい。よろしくお願いします」



「広ッ!!」
 社員食堂に入って開口一番、ルリーは思わずそう叫んだ。それも当然で、目の前に広がる空間はアイアンリーグ用サッカーフィールドの優に半分はあるのだ。
「これが社員食堂……」
 ダークの社食はおろか、社員食堂そのものが未踏の地であったルリーは、驚きと感動でしばし言葉を失った。
 食事時は少し過ぎているが、まだまだ社員でひしめき合っている。もう少し早い時間だと、満席になることもあるのだとクリーツが説明してくれた。となると広大な食堂も凄いが、それだけの社員数を抱えるダークスポーツ財団も凄い。さすが大手中の大手。
「あれ?」
「おッ、まさかここまで来るとは思わなかった」
 ここでもルリーの存在に気が付いた社員達がそれぞれ反応を示し、手を振ったりしている。それで我に返ったルリーは慌てて小さく手を振った。さすがに慣れてきた。
「さて、付き合っててもキリないので」
 そう言ってクリーツはルリーの背を押して券売機に誘う。社員達が親指を下に向けたり中指を立てたりしたのは華麗に無視だ。
「あ、やっぱり食券買うんですね」
 券売機の前に立ち、またも感動してルリーは言った。
「会社によってはカウンターで頼む形式もありますが、ウチはこのタイプですね。ただ、食券とは少し違うんですよ」
 そう言ってクリーツは一通り説明してくれる。まず必要金額を投入、そして食べたいメニューボタンをプッシュ、文字盤に確認画面が出てくるのでメニューに間違いないか確認をして、決定ボタン。すると食券ではなくデジタル仕様の番号札が出てくるというわけだ。
「あとは放送で番号が呼ばれるまで、カウンターの近くで待機です」
「へぇ〜」
 興味津々とルリーは券売機を見た。慣れてないということもあり、とてもハイテクに感じる。
 ついでにメニューは何があるのかと眺めると、定番の洋食や定食が目に付いた。ダークの社食はすごいと父が言っていたのを思い出し、内心ちょっとがっかりする。値段も高いわけではないが、安いわけでもない。
「スープや味噌汁、ジュースやコーヒー・紅茶などが飲み放題ですよ。それから御飯の量は自由に調節できて、おかわり自由。キャベツが付いてればキャベツも同様」
「……」
 前言撤回。すごい。それでこの値段ですか。
「あぁ、後はコレ」
「え?」
 クリーツが示すボタンに目を向ける。そこには“バイキング”の文字が。
「バイキング!?」
「そうです。あちらでやってます」
 広さと人の多さに圧倒されて気付かなかったが、カウンターの反対側に何やら区切られたスペースがある。そこにも社員が出入りしていて、テーブルに並べられた料理が垣間見えた。
「しかもこの値段!?」
 一般的なバイキングに比べたら格安である。
「まぁその分、料理の数も少ないんですけどね」
「でも社食でバイキングとか凄いですよ!」
「なんなら僕がバイキングおごるよ?」
 背後から新たな闖入・ダークの社員。
「あっ、え?」
「いらん」
 ルリーの肩に乗った社員の手をクリーツが無下に叩き落した。
「はいはいお邪魔虫は退散しますよー」
 おどけた様子で肩をすくめて社員は離れた。もちろんルリーに笑顔で手を振るのは忘れない。
「ほんと、スミマセンね……」
「いえいえ! 大丈夫ですよ」
 阻害や空気扱いされるよりよっぽどいい。ちょっとびっくりするけど。
「説明はこんな感じでしょうか。さて、どうしますか? この前のお礼におごりますよ」
 そういえばお礼をしなければならないと言っていたような。ルリーは照れたような笑みを浮かべた。この値段ならおごられても罪悪感は少なく済む。
「じゃぁ、お言葉に甘えさせて戴きますね。ご馳走様です」
「いいえ。こちらこそ、ありがとうございました」
「いえいえ」
 というわけで、ルリーは日替わり定食Aを頼むことにした。バイキングも気になったが、ダーク社食の日替わりメニューの方が気になったのである。Aが魚メインでBが肉メインになるらしい。
「毎日社食で済ませるなら、栄養バランスを考えてメニューが決まっているので、日替わり定食を頼んだ方が体にいいんですよ。恥ずかしながら私も日々の食事を社食に頼っているので、よく利用するんです」
 と言いながら彼が頼んだのはB定食だ。おぉワイルド、とちょっとだけときめく。
「あ、御飯の量は少しだけおなかに余裕持たせるようにして下さいね。食後のデザートに別の所を案内しますので」
「わぁ、ありがとうございます!」
 至れり尽くせりとはこのことだ! ルリーは隠すことなく浮かれた。

 ――さて。
 二人が食事中に交わした会話は、折角の男女ではあるが、始終当たり障りのないものだった。互いに自リーガーの面白い話とか、クリーツがダーク復帰前に所属していた田舎サッカーチームの話とか、はぐれリーガー達の話や、ワールドツアーの話、等々。
 誰かが聞いていたら「色気がない」と呆れていたかもしれない。それだけ二人は楽しそうに仲良く話をしていた。



 社員食堂の日替わり定食も、その後案内してもらった社員喫茶の紅茶とケーキもとっても美味しくて、そしてクリーツとの会話もとっても楽しくて、来た時の不安や居心地の悪さは何処へやら、ルリーはほくほく気分で財団ビルのエントランスホールへ戻ってきた。
「今日は本当にありがとうございました。とても美味しかったし、楽しかったです」
 ホールまで送ってくれたクリーツに頭を下げる。クリーツはいいえと笑った。
「こちらこそ、楽しいひと時を過ごさせて戴きました。ぜひまた後一緒させて下さい。今度は社食なんかじゃなくて、外のいい店で」
「はい。こちらこそぜひ」
 そうしてルリーは財団ビルを後にした。
 さてこれからどうしようかと考えながら、とりあえずメインストリートに向かって歩き始める。ふと思い至って父にメールを送ることにした。
『帰るね。社食、美味しかったよ!』
 間もなく返信が来る。
『それは良かった。クリーツ君とは楽しかったかい?』
「……」
 ルリーは足を止めて携帯の画面を凝視した。
 何故だか分からない。とても、とても意味深な感じがした。いやいや考えすぎよ。確かにクリーツさんは素敵な男性だけど、意識してしまうほど意識してないわ。あれ、ちょっと文章が変だ。まぁいいや。
 ……そういえば。ルリーはいつぞやの雨の日のことを思い出した。帰った後、やたら父と叔父にからかわれたっけ。
「まさか、狙ったわけじゃないよねぇ」
 まさかまさか。それこそ考えすぎだ。
「……」
 いや、でも、なぁ。
 あの放任主義が突然弁当を食べたいなんて言い出したりする? しかも忘れていって、わざわざ持って来いだなんて。
 しばし考えた後、ルリーは返事を打った。
『楽しかったよ。なんかとても気を遣ってもらっちゃったみたいで申し訳ないくらい』
 直球で確認しようとも思ったが、結局素知らぬ振りをすることにした。自分からその話題を振れば墓穴を掘りそうな気がした。
『そうか、それなら何よりだ。弁当美味かった』
『それなら何より』
『次はタコさんウインナーがいい』
 ――本当に思惑があるの!? っつーか、その顔でタコさんウインナー!?
 ルリーは脱力してしばらくその場から動けなかった。



END
さー、真実は何処でしょうねぇ。
現段階でのクリーツのルリーへの気持ち合わせて(笑)

……だらだら長いだけの中身の薄い小説でスミマセン(汗)
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