傘、開く

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 ルリーはしまったなぁと思った。
 雨が降ってきたのだ。天気予報では非常に微妙な50%という降水確率だったのだが、見上げた空は何処までも青かったので、大丈夫だろうと傘を持たずに出てきた。
 ところが今は衣服が濡れてしまうほどの雨である。書店で欲しい雑誌を手にしながら何かいい本はないかと物色している内に、空は様相を変えてしまったようだった。
 さてどうしようとルリーは思案する。携帯電話で誰かに迎えに来てもらおうかとも考えたが、これだけの為に呼び出すのもなんだか気が引けたので、真っ先に選択肢から削除した。
 となると余計なお金は使いたくないが、タクシーが妥当か。そう思ってしばらく道路を眺めていたが、空車タクシーがなかなか通らない。皆、急に振り出した雨に慌ててタクシーを捕まえているのかもしれない。
 バス停や駅はここから数分歩かなければならないし、降りた後もやはり歩かなければならない。駅ならタクシーを捕まえられるが、家までタクシーを使うほどの距離でもない。うーん、そこまでくらいなら迎えに来てもらおうか。でも結局今いる所から駅かバス停までは濡れるしかないのはどうしようもないわけで。
 ルリーはため息をついた。やはり誰かにここまで迎えに来てもらった方がいいかな……そう思い、携帯電話を取り出す。
 その時、ちょうど目の前に軽自動車が停車した。今若者に人気の車種だ。色は黒。免許を取ったらあの白が欲しいのよねぇなどと考えながら、ルリーが何気なく目を向けていると、窓が開けられ、驚くべき人が顔を覗かせたのだった。
「Miss銀城!」
「クリーツさん!?」
 元ダークプリンス監督のクリーツである。G3兄弟強制引退騒動の後に辞任し、姿が見えなくなっていたが……
「もしかして雨にお困りだったのではないかと思ってね」
 そう言ってクリーツは微笑む。そこには以前の陰険さは微塵もない。ルリーは彼も正しい心を取り戻したのだとゴールドマスクから聞いて知っている。
「えへへ、実は」
 ルリーは苦笑した。内心これは送ってくれる展開になるのではないかと期待。
「では送りしょう。乗って下さい」
 やっぱり! ルリーは破顔した。
「いいんですかぁ?」
「ええ、どうぞ」
「ありがとうございます!」
 クリーツが助手席を勧めたので、ルリーは喜々として乗り込んだ。
「すみません、助かりました」
「いいえ。通りかかったら姿を見かけたので、ちょうど良かったですね」
「はい。ありがとうございます」
 黒の軽はウインカーを上げて、颯爽と車の流れに入り込んだ。
「でもクリーツさん、ダークを辞めて地方に行ったって聞いてましたけど」
「ええ。故郷の田舎で小さなサッカーチームの監督をしていたんですよ。でも、ギロチ様から復帰のお誘いを頂きまして……しばらく悩んだんですが、田舎チームの奴等が後押ししてくれたのもあって、プリンスに戻ることになりました。ちょうど今からダークに挨拶に行くところだったんです」
 ルリーは慌てた。
「えっ、じゃぁ、遅れちゃうじゃないですか!」
 かと言って今更ここで降ろされても困るけどと考えたのは秘密。
「別にいいんですよ。今日中に伺うと言っただけで、何時とは決まってませんから」
 とクリーツ。申し訳ないなと思いながらも、ルリーは内心ほっと胸を撫で下ろした。
「じゃぁ、今度からまた勝負できますね! ……と、言いたいところなんですけど」
 ルリーはそう言って疲れたような笑みを見せる。
「聞いてますよ。5人抜けて、サッカーができなくなったんでしょう」
「そうなんですよー。サッカーチームのはずなんですけど、今は野球をしています。でも、まぁ、シルバーキャッスルのスポーツができるだけいいかな、と」
「……」
 クリーツは苦笑するだけに留めた。UN騒動は話で聞いているし、試合もTV中継で見ていた。いろいろ大変だったようだ。当事者として“シルバーキャッスルのスポーツができるだけいい”という思いも一入だろう。部外者だった自分が今更とやかく言える立場ではない。
「……それにしても」
 僅かに沈みかけた空気を払拭するように、ルリーが明るい声で話を切り出した。
「クリーツさんって、軽に乗るんですね」
「乗るようには見えませんか」
「なんか、高級車とかスポーツカーに乗ってそうなイメージ。美人な女性乗せて」
 ルリーの答えにクリーツは笑った。
「実際昔はそうでした。軽を馬鹿にすらしていましたし」
 そしてクリーツはかつて乗っていた車種を挙げる。どれも高級スポーツカーばかりだ。
「……ダークの社員は怖いわ……」
 ルリーからすれば全て目眩がするような、雲の上の車である。
「ははは。でもダークを辞めてからは、金の使い方には気を付けなければならないと思いまして、思い切って軽に乗り換えたんです。そうしたら軽もなかなかいいので驚きました。スポーツカーは今でも好きですが、生活の中で乗るなら軽で充分ですね」
「……変わりましたねぇ」
 ルリーの素直な感想だ。昔はあんなにイケ好かない人だったのに。
「ええ。自分でも驚いていますよ。友人には未だに違和感があると言われますが」
「でも、今の方が素敵ですよ」
 これも素直な感想。クリーツは一瞬驚いた顔をした。
「おや、これは光栄ですね。貴方は以前から素敵でしたね。当時は気付きませんでしたが」
「やっだぁ、クリーツさん!」
 ルリーは照れ隠しにばしりとクリーツの腕を叩いた。ルリーから褒めたというのにだ。さすがにクリーツから「痛っ」という声が上がったが、ルリーには届かない。



 家に戻ると、リカルドに意味深な笑みを向けられた。
「何?」
「今のはクリーツ君だろう」
「そうだけど」
「Mr.クリーツには気を付けた方がいいぞ」
 叔父まで同じような笑みを浮かべている。
「なんで?」
「昔から女性とのスキャンダルが絶えなかったからなぁ」
「……」
 あー、やっぱり。以前のクリーツにはそういうイメージがある。
「でももう以前のクリーツさんじゃないし、それにいくらなんでも私みたいな子供は相手にしないでしょ」
 あくまでシルバーキャッスルのオーナーと、ダークプリンスの監督という間柄なだけだ。
 だが父も叔父も引き下がらない。
「ほう、ということは、お前自身はまんざらでもないってことか」
「もー、何言ってんのよー」
 娘が、姪が、年頃の女の子だということで、状況を楽しんでいるのは明白である。二人共、子供じゃないんだから、まったくもう。
 ……まぁ、確かにかっこよくなったんだけどね。自分がもう少し大人だったなら、もしかしたら。
 ルリーは苦笑した。



END
とうとう書いちゃったよ……当然続きますよ、このシリーズ。
高級スポーツカーと女性は昔のクリーツを表すキーワードということで。
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