君よ、死にたまうことなかれ

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 以前、退院する際に忠告は受けていた。シャーキードーグに大破されて入院した時のことだ。
 リーグドクター曰く、無限に直せるわけではないんだよ、と。
 冷水を浴びせられたような気分になったが、その一方で「やっぱりな」という思いもあった。
 元々安物のこの体に、繰り返された修理はあまりにも多い。不安はずっと心の片隅で燻っていた。
 そして訪れた今回の体の不調。
「電脳回路が損傷していますね。時々記憶や意識が飛んでしまうのはそのせいでしょう」
 再びリーグホスピタルを頼ったシルキーは、検査の後にリーグドクターからそう告げられた。長年蓄積された負担の影響は、体だけではなく電脳回路にまで及んでいたのだ。
「電脳回路、ですか」
 付き添いの若いメンテナンススタッフが、青ざめた顔でドクターの言葉を繰り返す。
「そう。それから、体が思うように動かせないのは今まで散々酷使してきたせい。彼の体はツギハギが多いし、加えて一度基本構造まで歪ませているからね。本来なら廃棄されておかしくない体を無理矢理矯正して、またあの過酷なフィールドに戻ったんです。来るべき時が来たということでしょう」
 限界――それが、今シルキーが突き付けられている非情な現実の名前だった。
「どうにかならないんですか?」
 懇願するようにメンテスタッフが尋ねる。
「ならないことはないですよ。幸い相手は機械ですから。メモリーは新しい電脳回路に移し替えればいいし、体はオーバーホールか新調すればいい。さすがにその体をオーバーホールしてもその場しのぎにしかならないですから、今後のことを考えれば、新調の方がいいんですが。ところでメモリーのバックアップは取ってますか?」
 ドクターの問いにメンテスタッフは首を振った。
「いいえ。ウチの設備ではちょっと」
「では、まずはバックアップを取りましょう。回路がやられてるから、早い方がいい」
 言いながらドクターは机の引き出しから一枚の紙と同サイズの封筒を取り出す。
「彼は中央リーグの公式チームに所属しているリーガーですので、この同意書にオーナーのサインが必要になります。一度戻って、もらってきて下さい」
「なんの同意書ですか?」
「簡単に言えば、万全を尽くしても成功しないことがありますよってこと。何せ相手は損傷した電脳回路ですから」
「!」
 メンテスタッフは言葉を失った。仕事上、成功しないことが何に繋がるのか容易に想像できたからだ。
 失敗すればバックアップを取りそこなうだけでなく、元のメモリーも危険にさらされる。もしメモリーに影響すれば、シルキーの人格や記憶が失われることになりかねない。場合によってはシルキーという一個人の“死”に繋がる。
 だがドクターは苦笑した。
「御心配なく、こちらもプロですから。同意書は形として必要なだけですよ。一応ね」



 ……などと言われても、そう簡単にぬぐえる不安ではない。
 会計をするメンテスタッフを置いて先にホスピタルから出たシルキーは、駐車場で深々とため息をついた。
 ドクターの『本来なら廃棄されておかしくない体』という言葉を思い出した。それは入院した時にも言われていた。だからこうなる日が来ることは解っていたはずなのだ。
 そもそもシャーキードーグにやられてシルキー達が入院する羽目になったのは、基本構造という、メンテナンスではどうしようもない部分が激しく損傷したためであった。
 本来なら基本構造が損傷したリーガーは廃棄されるのが一般的である。その方が手っ取り早く、コスト面でも効率がいいからだ。
 リーガーの体には精密部品が所狭しと詰められており、基本構造の損傷はそれらにも直に影響を及ぼす。全て元通りに直すには想像以上に時間と手間が必要で、時間と手間がかかればそれだけ費用も跳ね上がり、結局新調するのと大して変わらなかったり、場合によっては新調した方が安いこともあるのだ。
 所詮、娯楽道具扱いのアイアンリーガー、ゆえに基本構造が歪めば廃棄となるのである。
 しかしシルキー達は矯正のために入院することになった。彼等が所属するのはシルバーキャッスルなのである。ルリーが、エドモンド監督が、メッケル工場長が、廃棄を潔しとするはずがない。
 とは言え、一つ問題があった。
 シルキー達には長年少しずつ蓄積されてきたダメージがあったのだ。ダメージは、ボディ全体に疲労を起こし、著しく劣化させていた。
 問題というのはつまり、いずれ訪れる『限界』のことなのだ。
 特にシルキーは、シルバーキャッスル立ち上げ当初からいるメンバーの中で一番損傷が多い。
 だから、こうなる日が来ることは解っていた、はずなのだ。
「……」
 それでも、動揺をどうすることもできない。終わりが現実味を持って目の前に待ち構えているのだから。
 人間も、死を目の前にした時、こういう気持ちになるんだろうか――
「よう」
「!」
 突然声をかけられ、シルキーは思考の海から意識を浮上させた。
「ゴールドフット」
 シルキーは驚いた。声の主はダークプリンスのエースストライカー、ゴールドフットだったのである。まさかリーグホスピタルの駐車場で出会うとは思わない。
「ダークのリーガーがリーグホスピタルに用があるのかい?」
 ダークスポーツ財団にはお抱えの整備施設がある。それこそリーグホスピタルに匹敵するか、もしくは軽く凌駕するほどの最新設備を備えた施設が、だ。だからダークのリーガーがホスピタルにいるなんて、場違いもいいところなのだが。
「いや、通りがかったら、たまたま沈んでるお前の姿を見かけたからよ。どうした、調子でも悪いのか?」
 フットは少し心配そうな顔で尋ねた。それも当然で、ここはリーグホスピタル、ロボット専用の病院なのである。
「いやぁ、長いことフィールドに立ってたからさ。いろいろガタがきてるらしくて」
 シルキーは照れ笑いをしながら答えた。不安を吹き飛ばすため、まるで大したことないとでも言うように。
 だがフットはそれを真に受けなかった。
「ガタ?」
「そう。今の状態でスポーツするのは自殺行為だってんで、ドクターストップかけられてさ、困ったよ」
「……」
 シルキーに他意はない。ただ事実を述べただけで。
 その事実がフットにとってどういう意味を持つのか、全く意識してなかった。
「……あれ?」
 フットが口をへの字に曲げて黙り込むものだから、シルキーは訳が分からなくて首をかしげた。
「俺、何か変なこと言った?」
「……悪かったな」
「何が!?」
 突然謝られて、シルキーにはますます訳が分からない。
「お前を散々痛めつけたのは俺達じゃねぇか」
「……あぁ!」
 やっとシルキーは理解した。彼の体にダメージを蓄積させたのは、ダークを始めとする他チームのリーガー達のラフプレーである。
 慌ててシルキーは首と手を振った。
「違う違う! ごめん、そういう意味で言ったんじゃないんだ。誰かのせいだなんて、これっぽっちも思ってないよ!」
 シルバーキャッスルのメンバーがフィールドでラフプレーを受けたのは、アイアンリーグ全体において、そのラフプレーという行為が当然の風潮だったからだ。だから特定の誰かを責めるなど、お門違いもいいところである。
 ……フットには慰めにすらなっていないようだが。
「だけどよ」
「こうしてダークもフェアプレイに目覚めてくれたんだし、俺達も頑張ってきた甲斐があったってものさ」
 電脳回路のことまで言わなくて良かったと内心シルキーは苦笑する。話したらフットはますます責任を感じるだろう。
「どうにかなるのか?」
「オーバーホールかボディを新調すれば大丈夫って言われたよ。新調を勧められたけど」
「新調、か」
 感慨深げにフットが呟く。
「うん」
 シルキーも彼の胸の内を察し、少し寂しそうな笑みを浮かべた。――今まで苦楽を共にした体と別れるのは、正直なところ忍びない。
「キングスのキャッチャーもそれに悩まされたクチでよ」
「もしかして、前にしばらく試合に出なかったのは」
「あぁ。兄貴の魔球を受けられるスペックじゃなかったらしくてな。それで」
「悩むよなぁ」
「あぁ。だけどよ」
「ん?」
「やっぱり生きててナンボだぜ」
 まっすぐシルキーを見据え、強い口調でフットは断言した。
「生きてなきゃ、野球もサッカーもできやしねぇ。スポーツしたいんなら、新しい体にすがってでも生きるべきだ」
「ゴールドフット……」
 シルキーはフットの力こもった目に一抹の悲しみを見取り、一瞬呑み込まれそうになった。何がフットにそこまで思い込ませるのだろうか。
「やりたくても、やれねぇ奴だっているんだ。だから」
「うん……」
 シルキーは曖昧な気持ちで相槌を打った。フットの言いたいことは解る。何が彼にそう言わしめたのかまでは分からないが。
 しかし問題はまだあるのだ。電脳回路損傷の他に、もう一つ。
「でも決めるのは俺じゃないから。コレの問題もあるし」
 苦笑いを浮かべながらシルキーは人差指と親指で輪を作った。
「あぁ、そうだよなぁ。お前等はなぁ」
 金のことだ。一度ワールドチャンピオンになったからといって、そういきなり大金持ちになれるわけではない。
「そうだ、セーガルに賠償させたらどうだ? 奴のシャーキードーグに試合の外で痛めつけられたのもデカイんじゃねぇか?」
 名案とばかりにフットが言った。しかしシルキーは複雑そうな顔をする。
「どうかなぁ。ちゃんと説明できないけど、そういうのって違う気がする。もともとマグナム達への挑戦を、俺達が自分達の能力をわきまえずに勝手に受けたんだし」
 おそらく、金に困っていないセーガルだ、トップスターという立場上ダークサイドを表沙汰にするわけにもいかないだろうから、訴えれば多少は出してくれるかもしれない。
 しかしあの勝負を金で解決させるのは気が引けた。シルキーはその気持ちを言葉にできなかったが、つまる話、折角の勝負と結果をそういう俗物的な話で汚したくないのである。
「あー、そうか。それもそうだよなぁ」
「うん」
 どうやらフットも理解してくれたようで、シルキーは嬉しくなった。
「……」
 だがフットは再び厳しい顔をして黙り込んでしまう。この沈黙がシルキーには心苦しい。こんなことでフットを悩ませたくなかった。事情を話すなんて、思慮が浅かったと少し後悔する。
「……よし」
「え?」
 突然フットは何かを決意したように呟いた。そして。
「ちょっとここで待ってろ!!」
「え!?」
 言い置くが早いか、フットは駐車スペースに停めていた車にさっさと乗り込み、シルキーが呼び止める暇もなく、駐車場を飛び出していってしまった。
「お待たせ。どうしたんだい?」
 会計を終わらせて出てきたメンテスタッフは、呼び止めるために手を伸ばしたまま動きを止めているシルキーを見て首を傾げた。
「いえ、今ゴールドフットと会って、体のこと話したらここで待ってろって」
「ゴールドフットが?」
「えぇ。待ってた方がいいですよねぇ?」
「そりゃぁ、待ってろって言われたんなら」
 ゴールドフットは10分くらいで戻ってきた。
「これをやる」
 開口一番そう言って差し出したのは、横長の白い封筒だった。反射的にそれを受け取り、シルキーはフットの顔を見る。
「何だい、これ?」
「いいから使えよ! じゃぁな!!」
「え、ちょ、フッ! ト……」
 またしても呼び止める間もなくフットは去っていってしまった。
「仕方ないから、とりあえず開けてみたら?」
「あ、そうですね」
 メンテスタッフに言われて我に返り、シルキーは封筒を開けた。

「うわあああああぁぁぁッ、プリペイドカードーッ!!!!」





 ゴールドフットの頭にあったのは、スーパーヘッドのことだ。
 いくつか入っていた取材の仕事を終え、自家用車で帰り足のフット。折角の晴天に「たまいはいいか」と練習をちょっとだけ脇に置いてそのままドライブと洒落込んだは良かったが、シルキーの件に出くわしてそれどころではなくなった。
 時間がたつにつれて徐々に現実味を帯び、不安が増してくる。あの、一人佇んでいた時のシルキーの沈鬱な顔と、症状を軽く流そうとした口調の、ギャップが気になって仕方がない。
 大丈夫なんだろうか、本当に。咄嗟に思いついたことが金をカンパすることだったが、そもそも金で済む問題なのか、はなはだ疑問である。
 半ば意識ここにあらずの状態でビルに戻り、悶々と考え込みながら歩いていたら、サッカーリーガーだからだろうか、いつの間にか練習場にいた。サッカーの練習をしていたプリンスメンバーが動きを止めてフットを見つめている。
 その内の一人がサッカーボールを持っているのに気付き、フットは「貸せ!」と引っ手繰った。そして叩き付けるように地面に置くと、深く息を吸い――
「うおおおおおおおおおぉぉぉぉッ!!!」
 天井を仰ぎ、高らかに咆哮した。
 高ぶった感情のまま、思い切りボールを蹴り飛ばす。
「ほげぎょッ!?」
 ボールはゴールキーパーが張った電磁ネットを突き破り、ゴールの壁にめりこんだ。
「……」
 しばし練習場が沈黙に支配される。フットの荒々しい呼吸だけがうるさいくらいに響いた。誰もがフットの行動を理解できなかったが、問いただせる雰囲気でもない。
 上の作戦指示室からその光景を見ていたクリーツはため息をついた。
「ゴールドフット」
 沈黙は何ももたらさないだろう、クリーツは張り詰めた空気を破るために名を呼んだ。
「何だよ」
 搾り出すようにフットが応える。
「どちらかというと、それはこちらのセリフだ。……何があった?」
「……」
 再び沈黙。しかし今度はフット自らそれを破る。
「シルバーキャッスルのシルキーが、ヤバイかもしれない」
「ヤバイ?」
 チームメイトが反応した。馴染みの名前を聞いて我に返ったのだ。
「どういう意味だ?」
「スクラップになるかもしれねぇ」
「え……」
「なんで」
「俺達が散々痛めつけたからだろうが!!」
「!」
 八つ当たりの如き怒声。チームメイトは息を呑んだ。ただし怒声にではなく、その内容にだ。
 互いに見合わせた顔が、困惑を表していた。当時はラフプレイが当たり前だったといえども、責任逃れしようと思う者はいない。シルバーキャッスルはもはや好敵手であり、友なのだ。今の彼等はそういうふうに思えるようになっている。
「で、実際にどうヤバイんだ?」
 チームメイトの一人が尋ねた。
「……今のボディではもうスポーツできねぇらしい。オーバーホールか新調しなきゃならねぇって言っていた」
「じゃぁ、オーバーホールか新調すれば大丈夫ってことか?」
「でもシルバー、金ないんじゃないの?」
「あぁ、それで」
「どうすんだろ」
「新調なら中央リーグ協会から補助金下りるんじゃないか? メンバー少ねぇし」
「協会が勧める任意保険も入ってれば、そこからも下りるよな」
「保険、入ってんのかな?」
「保険加入に払える金あんのか?」
「俺、少しカンパしようかな」
「あ、俺もする。フットは? ……フット?」
 各々好き放題話をしていたチームメイトは、ここで始めてフットの様子に気が付いた。
「ッ……」
 人間で言うなら、顔面蒼白にして虚空を睨んでいるようなのだ。握り締めた拳が微かに震えている。
「まだ、何かあるんだな?」
 練習場に下りてきていたクリーツに問われ、しかしフットは首を振る。
「分からねぇ。アイツはそれ以上何も言わなかった。でも、自分の体の異常をなんでもねぇことのように話して、何か重要なことを咄嗟に隠したようだった」
「マジで……?」
 チームメイトが色めき立つ。
「どうすりゃいいんだ……」
 そう呟き、フットは愕然とした様子で己の手を見た。珍しく弱気な姿である。
「また、失うのか」
 大事な友を。朽ちてゆくのを、指をくわえて見ているしかないのか。
 しかもその責が己にある、なんて。
「俺達は取り返しのつかないことを、してきたんだな」
 ラフプレーはやめた。だが、やめたからといって、今までの行いをなかったことにはできない。
 分かっていたはずが、結局解ってはいなかった。他者を傷付けることがどういうことなのかを。
 リーガー達は黙り込んでいた。フットと同じく、己が振りかざしてきた力に打ちのめされているのだ。
「……怖いか」
 クリーツがフットに問う。フットは手を下ろし、目を閉じた。
「俺達は、そういう力を持ってるってことなんだよな……」
 答え代わりのように呟く。
「そうだな」
 クリーツが相槌を打った。
「お前達が持つその力は、人々を熱狂させ、自分達の心を充実させるいい試合をもたらす。だがそれゆえに、一方で絶大な脅威となる。お前達にかかれば、俺達人間など潰れたトマトが末路だ」
「うぇ」
「監督、その例えは……」
 リアルに想像してしまったリーガーが呻く。
「そんな力同士がぶつかり合っているんだ。どれだけのエネルギーが生み出されているか、考えてみろ」
「……」
 誰も何も言わない。クリーツは構わず言葉を続ける。
「そういえば大昔流行ったヒーロー映画か何かで、こんな言葉があったな。確か――大いなる力には大いなる責任が伴う――だったか」
 フットはクリーツを見た。
「責任」
「そう、責任。もちろんその責任を負うのは、我々人間にも言えたことだが」
 クリーツはアイアンリーガー達を見回した。
「起きてしまったことは仕方がない。だから、これからは忘れるな」
 そして微笑んで見せる。
「できることからやればいい。大事なライバルなんだろ」
「おう!」





 応接室のテーブルに一枚の紙。それを見下ろしたまま、ルリーは微動だにしない。揃えられた膝の上で、両の拳が硬く握られていた。
「そんなに……ひどいの?」
「……」
 微かに震えるか細い声に、シルキーはこの場から逃げ出したくなった。心が痛くてたまらない。
「いえ、一応形として必要なだけですよ」
 若いメンテスタッフが内心焦りながら言う。少女の声は今にも泣き出しそうだからだ。
「でも、電脳回路が」
「そんな重大なことじゃないですよ。大丈夫」
「ホスピタルはプロだ。そんな心配せんでもいい」
 同席しているメッケルもなだめようとする。こういう時にリカルドや監督がいればなぁと内心ぼやいた。リカルドはダークスポーツ財団ビルに出向しているし、エドモンド監督もジェットセッター率いるアメフトチームの練習を見に行っている。連絡は入れたが、二人とも「任せる」の一言で済ませてしまった。信頼されているのはありがたいが、オーナーのルリーはまだ成人前なのだ。もう少し保護者としての自覚を持ってもらいたいと思わなくもない。
「うん……」
 シルキーと同じように、不安を拭い去ることができないのだろう。しかしルリーは深呼吸してペンを手に取り、サインをした。オーナーたらんとしている気丈な娘だ、泣きはしなかった。
 直後、扉がノックされる。ボビーが顔を出した。
「シルキー、電話」
「え、俺に? 誰?」
「トップジョイ」
 工場長がテレビのスイッチを入れて回線を繋ぐと、いきなりどアップでトップジョイの顔が映った。
『シルキー、死んじゃダメよぉ!!』
「わぁ!」
 こちらも今にも泣きそうな顔で訴える。
「し、死なないよ、大丈夫……」
 トップジョイの勢いに気圧され、しどろもどろになりながらシルキーは答えた。
「っていうか、なんで死ぬって話になってるんだ?」
 情報がトップジョイに回っていること自体はさして驚きではない。気を利かせて元チームメイトに知らせただけだろうから。しかしフットに電脳回路の話はしていない。
『マスクが言ってたねぃ。フットが、シルキーは誤魔化したり嘘つくのが下手だから、絶対チメイ的なケッカンがあるって言ってたって』
 オーナー、工場長、メンテスタッフがそろって納得したように「あー」と声を揃えて言ったのが聞こえた。
「え、俺、下手?」
「今更」
 ボビーが突っ込む。
『だから、あまりないけど、ミーもお金送るねぃ!』
「いや! いや、いいからいいから! もっと大事に使えって!」
 シルキーは慌てて辞退した。しかしトップジョイは引かない。
『ダメねぃ! シルキー死んじゃダメねぃ!! キングスやプリンスにも声かけてるねぃ!!』
「え!?」
『だから死んじゃダメよ!!』
 ブツリ。
 一方的に回線が切られ、テレビが驚くほどの静寂をもたらす。
「……なんか、大変なことに……」
 呆気に取られてシルキーは唖然とした。
「これも、どうしよう?」
 ルリーはフットが半ば強引に差し出したプリペイドカードを手にする。さすがダークのトップリーガー、金額が半端ではなかった。
「とりあえず手元に置いておいて、後で考えた方が良かろう。返したって受け取らんだろうしな」
 と工場長。「そうね」とうなずいて、ルリーはカードをケースに戻した。



「やっぱり、かなりヤバイんだな」
 廊下を歩きながら、ボビーが呟いた。
「うん……」
 シルキーがうなずく。
 ボビーに驚きはない。何故なら、リーグドクターから忠告を受けたのはシルキーだけではないからだ。
「次は俺かなぁ」
「どうだろうな。でも前例ができたから、誰だろうと次からはもう少し早く対応できると思うよ。俺みたいに気付いたら既に深刻だったってことはないから大丈夫さ」
「だといいけどね……皆にも説明すんの?」
「するよ。直してもらうまで試合に出れないし、ちゃんと説明しておかないとな」
 最初、本当は少し悩んだ。迂闊に話したせいでフットを困らせてしまったのを思い出したからだ。だがすぐに考え直して話すことにした。
「マグナムとリュウケンは驚くだろうな」
 ボビーの言葉にシルキーは苦笑いを浮かべる。
「そうだな……」
 話しながら玄関に辿り着くと、シルキーが帰ってきたことに気付いた仲間達が集まっていた。
「シルキー、大丈夫なのか?」
 開口一番マグナムエースが尋ねる。皆も心配そうな顔でシルキーの答えを待っている。
 シルキーは一通り仲間の顔を見回し、どんなふうに説明しようか考えた。その間の沈黙がマグナム達にいらぬ不安を招いていることに気付いたが、どうすることもできない。不安を抱えているのはシルキーも同じなのだ。
 シルキーはうつむいた。皆の顔を見なければ、できる限り事実を淡々を告げられるんじゃないかと、期待した。
「もう、この体でスポーツはできない」
「本当か!?」
 驚きの声を上げたのはマグナムだ。その隣でリュウケンが労わるような声でシルキーの名を呼ぶ。
「うん、本当」
 答える声が少し震えた。嘘だって言いたい。自分だって嘘だと思いたい。でも嘘ではないことは、この体が証明している。
 ホラ、今だって体がきしむようだし――それに視界が時々淡く明滅して意識が落ちそうなのだ。おそらく精神的な揺らぎが電脳回路のストレスとなって影響を及ぼしているのだろう。
「体がもう限界なんだってさ。それに……」
「それに……?」
 リュウケンが首をかしげる。
「……電脳回路が損傷してるんだ。これ以上激しい運動とかしたら、メモリーまで危ないって」
「電脳、回路」
 マグナムの呟きを最後に、場が沈黙する。
「まぁ、でも! 電脳回路は取り替えればいいし、バックアップもホスピタルで無事可能だっていうし。体だってオーバーホールか新調すれば、またスポーツできるって言ってたし、大丈夫だよ」
 重い空気を払うように、シルキーは口調を一転させて言った。それは自分に言い聞かせているようでもある。だが事実、なんの問題もなく事が済ませられそうなのだ。ただ不安が大きいだけで。
 その不安というヤツが、何よりもシルキー達に恐怖を呼び込んでいるのだが。
「次は、誰の番かなぁ……」
 ピックが呟く。
「連続で来てもらいたくないよなー」
 とパット。
「お金も追いつかないだろうし」
 と肩をすくめながらリンキーが言う。
「怖いなぁ」
 とカール。その肩に手を乗せてロニーがうなずいた。
「シルキーの体はオーバーホールと新調、どっちにするんだろうね?」
 とピートがシルキーに尋ねる。
「まだ決めてないみたいだ」
「そっか」
「ちょっと待ってくれ」
 シルキー達の会話を遮るようにマグナムが割り込んだ。
「もしかして、君達はこうなることが分かっていたのか?」
「うん……実は」
 神妙な顔付きでシルキーが答える。
「前に俺達、シャーキードーグにやられて入院しただろう? 退院する時にドクターから忠告受けてたんだ」
「そうだったのか……」
「それは、オーナー達は知ってるの?」
 リュウケンが尋ねた。
「監督と工場長には話した。オーナーは……あの様子だと、知らなかったみたいだな」
「そうなんだ……早く、直してもらえるといいね」
「うん……」
 できることなら、今すぐにでも。
 不安が心を本格的に蝕み始める前に。





 リカルドが自家用車のドアに寄りかかってしばし後に、クリーツが現れた。
「お帰りのところ、申し訳ありません」
「いや、構わないよ」
 言いながらリカルドは軽く手を上げた。
 ここはダークスポーツ財団ビルの地下駐車場。帰ろうとしていたところで、クリーツに電話で引き止められたのだった。
「で、渡したい物とは?」
「これです」
 そう言ってクリーツは横長の白い封筒を差し出す。リカルドは苦笑いを浮かべた。
「この封筒は、プリペイドカードかな?」
「はい。シルキーのこと、伺いました」
「あぁ」
 出所までは分からないが、リカルドはシルキーのことがダーク内で既に噂になっているのを耳にしていた。このカードは見舞金か何かなのだろう。
「誰から?」
「リーガー達からです。方々で集めていました。受け取ってやって下さい」
 しかしリカルドは手を出さなかった。
「誰かがこうして不調になるたびに、彼等は金を集める気か?」
 咎めるつもりはない。しかし、安易な金のやり取りは決していいことでもない。
 クリーツは首を振った。
「シルキーだけでなく、他のオリジナルメンバーも続くであろうことを予測してのカンパです。今回だけですから」
 過度の気遣いは互いの負担となる。リーガー達もそれを解っているようだ。
「まともに勝負しないまま、フェアプレイの先駆けにいなくなられるのが納得いかないのですよ。その原因が自分達のラフプレイにあるのだと思えば、尚更」
 何せフェアプレイに目覚めたダークプリンスは、シルバーキャッスルとまともにサッカーをしていないのだ。
「シルキー達は誰も責めていないんだがね」
「そうかもしれません。でも友の窮地に、アイツ等は何もせずにいられなかったんですよ。その気持ちを汲んでやってもらえませんか?」
「なるほど」
 リカルドは肩をすくめた。
「分かった。ありがたく頂戴するとしよう。感謝する」
 苦笑いと共にそう言って、彼はやっと封筒を受け取った。
「無事フィールドに復帰できることを祈っています」
「シルキーに言っておくよ。ありがとう」



 というわけで、父が持ち帰った封筒にルリーは苦い顔をした。
「とても見たことがある封筒だわ」
「ダークのリーガー達からだそうだ。折角の気持ちだからな、受け取っておきなさい」
「うん」
 父から封筒を受け取り、かつては忌むべき敵だったリーガーからの気遣いに、ルリーはちょっとだけおかしくなって笑った。
「そういえば、ゴールドフット個人からもお金もらってるの。結構な額よ。アレも使っちゃっていいかな?」
「そのために彼が寄越したのだろう? 返したって受け取りはしないだろうし、ここはありがたく使わせてもらおうじゃないか」
「でも、いいんでしょうか……」
 側にいたシルキーが呟く。ルリーは首をかしげた。
「何が?」
「世界には誰かの助けを必要としているヒト達がもっと沢山いるかもしれないのに、俺だけこんなに良くしてもらっちゃって」
 嬉しすぎて逆に怖いのが正直なところである。だが、言いながら落とした肩をリカルドに軽く叩かれた。
「かと言って友からの気遣いを無下にするわけにもいかんだろう。いいんだ。受けておきなさい。申し訳ないと思うなら、復帰した後プレーで返せばいい」
「……はい」
 観念したようにシルキーはうなずいた。
「で、バックアップはいつ取るんだ? それとももう済んだのか?」
「今日は予約だけで、明日行ってきます」
「電脳回路が損傷しているから、もしかしたら通常よりも時間がかかるかもしれないって言われたらしいの」
 シルキーの答えにルリーが補足する。
「じゃぁ明日が正念場だな。こんなに心配されているんだ、負けてられないぞ」
 リカルドの言葉に、シルキーは苦笑した。
「はい」





「フット、電話だ」
 練習場に鳴り響いた内線呼び出し音に応じたクリーツがゴールドフットを手招きする。
「電話? 誰だよ」
 クリーツは苦笑いを浮かべながら答えた。
「シルキー」
「む」
 昨日の今日でなんとなく気恥ずかしい思いに駆られて動きが鈍る。早くしろと急かされ、ええいと気合を入れて受話器を受け取った。そして胸の格納部からコードを引き出し、リーガー通話用モジュラージャックに差し込こんで回線を開き、受話器を置く。
 そこでふと気付いた。
「ん……?」
 音声通話になっている。シルバーキャッスルの本拠地から電話をしたならテレビ電話になるはずなのだが。ということは、出先からかけているのだろうか? ならば、何処から……?
 そこでリーグホスピタルが頭に浮かび、何やら嫌な感じがしたのを慌てて振り払った。
「換わったぞ」
『忙しいとこゴメン。今大丈夫かい?』
「おう。一体どうした」
『昨日のお礼を言わなきゃと思ってさ。ありがとう。嬉しかった』
「……おぅ」
 やっぱり気恥ずかしい! 今すぐ通話を切りたい衝動に駆られるのをぐっと我慢する。
『皆にも言っててくれ。なんか、申し訳ないくらいで』
「いいんだ。受け取れ。ちゃんと使って、そしてさっさと帰って来い」
 気恥ずかしかったのに言葉はすんなりと出た。有無を言わせない、強い口調で。
『……うん』
「……」
 シルキーの返事が少し弱々しく聞こえたので、フットは不安になった。
「お前よぅ」
『え、何?』
「……」
 呼びかけたは良かったものの、その後言葉が続かない。言いたいことが揺れて形にならない。
『……あのさ、フット』
 口を噤んでしまったフットの沈黙に耐えかねたのか否か、今度はシルキーが呼びかける。
「なんだよ」
 フットは素直に応じた。
『昨日、話してなかったことがあるんだ』
「お前の体のことか?」
『そう』
 そのことを言おうとしていたフットは、ちょうど良かったと思う反面、逃げ出したくもなった。何せ、怖かったから言葉を続けられなかったのだ。
 死の影がちらついている。自分が無責任に振りかざしていた暴力に誘われた、死の影が。
『実は、電脳回路が損傷しているらしいんだ』
「!」
 電脳回路!!
 頭を思い切り殴られた気分だった。よりにもよってリーガーの個を形成する中枢機構ではないか。
「ッ……」
 死の影が濃くなる。まるで自分の背後にいるかの如き重さを持って。
『意識や記憶が途切れるようになって、それで昨日調べてもらって分かった』
「直せる、のか」
 問う声が震えている。平静を取り繕えない!
『メモリーを新しい回路に移せば大丈夫って言われた。体を新調するにしろオーバーホールするにせよ、それまで今のまま放置していても危ないからバックアップだけ取っておこうってことで、これからホスピタルでやってもらうんだ』
「じゃぁ、今ホスピタルから電話してんのか」
『そう』
 予想は当たりだ。あの嫌な感じは予感だったのか。
『ただ、さ』
 言いにくそうなシルキーの口調。フットの中で嫌な予感が更に膨らむ。
『回路が不安定だから、成功しない可能性もほんのちょっとだけど、あるらしくて』
「……」
 あぁ、そうだろうとも。だからシルキーは昨日沈鬱な顔をしていたのだし、自分も動揺していたのだ。
『いや、まぁ、相手はプロだから大丈夫だろうけどさ』
「でも不安だろう」
 自分のことではないのにフットはこんなに怖いのだ。シルキーが抱く不安は計り知れない。
『……うん、まぁね。でも』
 電話の向こうで微かにシルキーが笑った気配がした。
『昨日フットを含めたダークの皆が沢山気遣ってくれたから、勇気をもらったんだよ。負けてられないって思った。……だから、必ず帰ってくるから、待ってて欲しいんだ――それを伝えたかった』
 それに、ちゃんとした情報を伝えないままあれだけお金をもらうのもねぇと、続けて照れ笑いをする。
「馬鹿野郎。帰って来いって言っただろ。頼まれなくても待ってらぁ」
『うん……ありがとう』
「……」
 ここで、フットはシルキーにかける言葉を切ろうと思った。
「……シルキー」
 しかし、できなかった。
『ん?』
 一言、たった一言が、フットの心に重く圧し掛かっている。それを抱え続ける強さを、今の彼は持ち合わせていなかった。
「頼むから………………死ぬな……ッ!」
 虫のいい話だと我ながら思う。何せ自分はシルキーをここまで追い込んだ者の一人なのだ。
 しかしそれでも、祈らずにはいられなかった。



 あの自尊心の塊のようなトップリーガーもこんな声を出すのかと、一瞬聴覚センサーを疑った。
 かすれた声。しがみつくような。胸を締め付けられた。
 やはり正直に言うべきではなかったかと、ちらと思う。だがすぐに打ち消した。こんなに心配してもらっているのなら、かえって正直に言うべきなのだ。電話する前の判断は間違っていない。
 友にこんなに大切に思われているなんて、なんとも光栄な話ではないか。
 ならば、シルキーの答えは一つだ。
「死なない。約束する。絶対に帰ってくる」
 あぁ、絶対に死ぬわけにはいかない。電脳の回路がなんだ。損傷がなんだ。不安に打ちひしがれている場合ではないぞ。
「シルキー、そろそろ」
 脇でシルバーのメンテスタッフが腕時計を指差した。バックアップ作業の予約時間が差し迫っていた。
「じゃぁフット、そろそろ時間だから」
『おう……行ってこい』
 今度はいつもの力強い声だ。
「うん、いってきます。じゃ」
 だからシルキーもいつもの調子で応えた。
 モジュラージャックからコードを引き抜いて格納すると、ちょうどアナウンスがシルキーを呼んだ。
「さて、行きますか」
 よし、と気合を入れてシルキーは作業室へと歩き出した。
 皆の願いが俺を支えてくれる。大丈夫、大丈夫。
 相手もプロフェッショナル、あまり不安になっていると失礼だし。
 大丈夫。大丈夫。
 いってきます。
 そして必ず戻ってくるよ。



END
某方のフット&シルキー&ザコちゃんイラストに触発されて思いついた話でした。
書いて消して書いて消して書いて消してプロット変更して書いて消して書いて消して書いて消しを繰り返し、試行錯誤の果てにやっとお披露目です。
……それでも言いたかったことが伝わる文章なのかどうかものすごく不安なのですが、これ以上の推敲はキリがないので終わり!(←デジャビュな文章)
本当はこの後にも話が続く予定だったのですが、ぐだぐだ長くなる上に論点がずれるので、ここで〆。
この後の展開は皆様にお任せします(笑)
シルバー古参メンバーとフットが仲いいのって萌えますよね。

あ、クリーツの言う作品は「スパイダーマン」です。
いい言葉ですよね。
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