ROOTS.
無知。そして無力。
悪夢の強制引退の時、それを痛いほど思い知らされた。
兄貴達を助けたのは俺じゃない。
俺はなんの役にも立たなかった。ただ足を引っ張っていただけだ。
ダークから解放され、兄弟三人で旅をしている間は、いろいろ大変だったけど楽しかった。三人でいられるだけで幸せだった。
その陰でもう一人の俺が、そんな俺を冷ややかな目で見ているのだ。
そして常に問いかける。
お前はなんだ?
お前は何を望んでいるんだ? ――と。
ワールドツアーの後、ギロチの計らいでダークキングスに復帰した。もう決して戻ることはないと思っていた古巣だ。これで正式に一リーガーとして公式の場で再びスポーツができるようになった。
だがこの時、既にゴールドマスクはいずれダークスポーツ財団を離れる決意を固めていた。アイアンリーガーとして更なる高みを目指すなら、自分だけの居場所を、誰かの後ろでも陰でも隣でもない、頂点で自分が輝ける場所を手に入れる必要があったからだ。
そこに立たなければ、戦う資格などないと思った。
自分が生まれた時から目前に立ちはだかっていた巨大な壁、真なる闇の王と。アイアンリーガーとして更なる高みを目指すなら、打ち倒さねばならぬ――
「頼まれていたデータ、整理し終わったぞ」
ブラックマンの執務室に呼び出されたゴールドマスクは、部屋の主から二枚のディスクを差し出された。
「こっちが著名ピッチャーの投球フォームの映像をまとめたヤツで、こっちがその出力データ」
密かにピッチャー技能を修得しようと思っていたマスクがブラックマンに頼んでいた物だ。以前ワールドツアーでマグナムエースが倒れたことを受け、チームに有力ピッチャーが一人という状況を危惧した末に考え付いたことだった。
「ありがとう。悪いな、面倒なこと頼んで」
「いや、こういうことくらいならお安い御用だよ」
ブラックマンが苦笑いと共に肩をすくめる。何故だか普段から気弱でダークキングスの練習にもほとんど口出ししないこの監督、しかしこういう作業を頼むと早いのだ。恐らく縁の下の力持ち、補佐的な仕事に能力を発揮する男なのだろう。
「ついでに一つ、訊いてもいいか?」
ふと思い付いてマスクが尋ねる。本題に入る前に確認を入れいるということは、普段口にしにくい質問だということだ。ブラックマンは一瞬戸惑いの色を見せたが、すぐにうなずいた。
「もちろん。答えられることなら」
「ありがとう」
マスクは意を決して、ダークに復帰してからずっと心の中で燻っていた疑問を吐き出した。
「ダークって、フリーエージェントってアリ?」
「え、お前、復帰したばっかりなのに?」
誰の話か瞬時に理解したブラックマンは呆れた顔で返す。マスクは慌てて否定した。
「今季が終わったらとかじゃなくて。ダークには恩があるし、それに余所に実力を売れるほど実績があるわけでもねぇしさ」
ダークスポーツ財団が誇るゴールドシリーズの最新型と言えば、今すぐにでも獲得に乗り出す球団は数多あろう。しかしその実態はブランド名に惹かれて群がるにすぎない。悔しいが、それが現実なのである。
「それに以前在籍していた分合わせても、必要在籍期間には足りないしな。もうしばらくはダークでお世話になるつもりでいる。ただ、いつかはって話」
それまでは修行期間と割り切って、尊敬するアイアンリーガーの側で頑張ると決めている。ダークスポーツ財団がいっそのこと手放してもいいと思えるくらいの実績を残しつつ。
しかしいずれ一人立ちするには、まずダークがフリーエージェント制度を許可していなければならない。ダークのリーガーは全員自社製である。外部発注されたのと違い、ダークの所有権はより明白なのだ。
「アイアンリーグ規則では許しているけどね」
「そりゃそうだけど」
分かっているとブラックマンは苦笑した。いくらリーグ規則で許されていても、ある意味治外法権的なダーク内で適用されるかというと、そうではないのだ。第一、以前のダークでは退団・引退=戦場行きだったのである。
「今まで気にしたことも、そういう希望を出したリーガーもいないからなぁ。改めて確認したことはないけど……でも今のギロチ様なら多分大丈夫じゃないかな?」
「とは俺も思うけどさ」
「だいたい以前マッハウインディが問答無用でプリンスから退団してったじゃないか。やろうと思えばいくらでも取り戻す方法はあったのに、そうしなかったし」
裁判で所有権を訴えてもいいし、裏から力ずくでも良かった。しかし思惑があったとはいえ、結局ダークはウインディを放任していたのである。
「あー、それは確かに」
「だから大丈夫だと思うけどね。でもまぁ、後で確認してみよう」
「……確認しちまうんだ……」
気まずい思いに駆られてマスクは苦い顔をした。これではマスクの思惑がバレてしまいかねない。意を決して相談しているというのに、その意図を汲んでもらえないのか。
「気持ちは解らないでもないが、仕方ないだろ。ワシに決定権はないし、正確な話も知らないんだから。それとも時期が来るまで疑問を棚上げしておくかい?」
「うぅん」
マスクはしばし悩んだ。悩んだ末に。
「分かった。棚上げする」
「そっちか」
思わずブラックマンは噴出した。
「今はできるだけ伏せておきたい。ダークにはまだまだ長く世話になる予定だから、居にくくなるのはゴメンだ。万が一情報が流出してマスコミに騒がれるのも鬱陶しいし」
マスクは顔を伏せる。
「……自分の考えが卑怯だって自覚あるしさ」
「フリーエージェント制度を裏切り行為扱いか?」
まさにそれこそ、マスクが公言を避けている理由である。
「昔から活用されてきた制度なんだけどな」
「分かってるよ。でも、復帰させてもらった時から退団する気満々だなんて、感じ悪いだろ」
そこでマスクははたと気付いた。
「アンタはなんとも思わないのか?」
そういえばブラックマンはマスクが質問した時に呆れた顔はしたけれども、非難どころか驚くこともしなかった。思い至ってみればとても不思議である。
だかブラックマンは意外な質問をされたのか、きょとんとして首をかしげた。
「いや、だって、兄二人がそれぞれチームのトップリーガーだからな、普通おとなしくしてられないだろ」
「今までおとなしかったけどな」
マスクは肩を落としてうなだれた。ブラックマンは肩をすくめる。
「今が頃合だったってことだろう。もちろん数多ある兄弟とてそれぞれ、始終兄達の隣や後ろのポジションで満足する者もいるだろうし、それを悪いこととは言わないが……お前は天下のダークスポーツ財団の、しかも看板とも言えるゴールドシリーズの一体だからなぁ。逆に一歩下がったポジションに甘んじている方がおかしいと思っただけだよ」
「……じゃぁ、ダークの上層部とか、もしかしたら想定してるかもしれないってことかな?」
「あー、可能性はあるかもなぁ。してなくても、知れば納得するだけだと思うね」
「そっかぁ……」
じゃぁ、今まで俺があれこれ深く考えていた懸念が杞憂になってしまうではないか、とマスクはちょっとがっかりした。とはいえ、それでも今は自分から公表する気にはなれないのだが。
「あまりいい加減なことも言えないが、いいんじゃないか? 今更な話のような気もするけど、誰がなんと言おうとお前はお前が行きたい道を突き進めばいいと思うがね。人の顔色をうかがってスポーツなんかできないだろう?」
そう言ってブラックマンは笑みを浮かべた。……それが自嘲めいて見えるのは気のせいか。咄嗟にマスクは言葉を見失う。
「……」
「お前にはちゃんとその環境があるんだ。最大限活用しないともったいないぞ」
「……俺は、俺が思っている以上の何かを背負っているのかな?」
おもむろに零れた出た疑問。ブラックマンは意味が分からずマスクをまじまじと見た。
「えぇ? 突然何?」
「あ、いや、その」
だってアンタが「羨ましい」とでも言いたげな顔をするから、一体どうしたのかと。しかしマスクは口ごもった。踏み込んではいけない領域のような気がした。
ブラックマンはそんなマスクから視線を外し、しばし考える仕草を見せる。
「うーん、よく分からないけど……気にしてる場合じゃないんじゃないかな?」
「それこそ、誰がなんと言おうと俺が行きたい道を突き進め、って?」
「そういうことだね。お前はアイアンリーガーなんだから」
「あぁ、そうか……そうだよな」
結局はそういうことだ。俺は、アイアンリーガーなのだ。
そして望んで選んだ道なら、自ら責任を持って全力で突き進んでいく義務がある。
「ありがとう、監督」
気持ちが晴れた気分だった。
「あー、うん、これでお役に立てたなら嬉しいよ。――頑張りなさい」
「おう!」
そしてマスクは望む未来へ向かって、本格的に走り出した。
END
お膳立て完了、なんちゃって(笑)
ブラックマンに関しては<ReSTART>の『途方』にて。
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