見えるもの見えないもの
リュウケンは空に高々と上がったバットを目で追った。
バットは回転しながら放物線を描き……やがて海にぼちゃん。
その間メンバーの全員もリュウケンと同じように視線をバットに向け、落ちた後もしばらく海の方を振り返ったまま硬直していた。
「すまない……」
やがて、うつむきながら呟いたリュウケンの声を合図に、やっと周りは我に返る。
「いや……気にするな」
ピッチャーのマグナムが呟きに答えた。彼は苦笑いを浮かべながら軽く息をつく。
「僕、取って来る」
「あ、リュ……」
リュウケンの後ろでキャッチャーをしていたシルキーが慌てて声をかけたが、リュウケンは「大丈夫」とだけ答え、壁を飛び越えて消えた。
「……」
シルキーはまだ何か言いたそうな顔で、リュウケンを止めようとして伸ばした手を静かに下ろした。
「皆、ちょうどいいわ。休憩にしましょう!」
ルリーが電磁ネットの内側から叫んだ。それに応え、リーガー達は「はい」と返事をしてベンチの前に集まり、エドモンド、リカルドの二人からオイルを受け取って各々談笑に入る。
「あたし工場長呼んでくるね」
「ついでにタオルでも持ってきてくれ」
練習場を出ようとするルリーに叔父が声をかける。ルリーは手を挙げてそれに応えた。
「それにしてもびっくりしたよな。いきなりバットがリュウケンの手から抜けて飛んでくんだから」
ピックの呟きに、仲良しのパットが「そうだよなぁ」と相槌を打った。
「そのスピードといったら。でもどうしたんだろ。こんなこと今までなかったのに」
「どっか調子でも悪いのかな」
「さぁ? でも昨日の時点では工場長は何も言ってなかったと思うけど」
「大丈夫かな?」
二人の会話にピートが混ざる。
「気にすることないよ。リュウケンかなり丈夫だから」
とボビー。
「でもさ。いくら丈夫でも、実際に異常が出てたら話にならないだろ」
リンキーのツッコミにボビーは「ああ、そうか」と笑う。
「笑い事じゃないってぇ」
不満そうな顔でカールが非難した。本当に何か異常があったら、彼の言う通り笑い事では済まない。リュウケンが普段しないバット投げを現にしているのだから、その可能性は高い――カールはそう思って心底心配していた。
「大丈夫さ」
そんな会話にリカルドが、彼特有の意味深な笑みで言葉を挟んだ。リカルドがそう言うのだから本当に大丈夫なのだろうと、カール達は完全には不安を拭いきれないものの、納得した。
やがてリュウケンが体を濡らして戻ってきた。手にはしっかりバットが握られている。タイミングよくルリーと工場長もやって来た。
「ご苦労様、リュウケン」
言いながらルリーはタオルでリュウケンの体を拭いてやる。
「海水如きにリーガーの機体がやられることなんてないんだがなぁ」
出前の昼飯を食おうとしていたところなのに、等とぼやきながら工場長はリュウケンの胸を開けて、コードをハンディコンピューターに接続する。
「だって、バットが」
「あ、オーナー。それは、別になんでもないんです。心配かけてゴメン」
「本当? 本当に大丈夫?」
「はい。大丈夫です」
「なら、いいんだけど……」
なんだかよく分からんといった表情を浮かべながらも、チェックを済ませ、工場長は「じゃぁな」と練習場から出ていった。
「リュウケン、お前のだ」
「ありがとうございます」
リカルドからオイルを受け取り、リュウケンはそれに口を付ける。
「リュウケン」
「? シルキー」
シルキーに向き直り、リュウケンは言葉を待つ。シルキーはちょっと照れたような顔で後ろ頭をかき、あのさ、と切り出した。
ちょうどその時。
「キアイ・リュウケンはいるか!!」
突然練習場に響いた大声が、シルキーの言葉の続きを完全に掻き消した。
何事かとその場の全員が周囲を慌てて見回す。
声の主はすぐに見つかった。その者は道路に面している壁の上に、腕を組みながら立っていた。
「ナッカラー……」
リュウケンと同じく空手リーガーのナッカラーである。
「いるけど……あ、シルキー少し待ってて」
「あ、ああ」
リュウケンはナッカラーの方へ駆け出した。ナッカラーも気付いて壁から飛び降り、歩み寄る。
「よう」
「こんにちは」
「おう」
「うん」
「……」
「どうしたの?」
「……」
「?」
ナッカラーはしばらく何も言わずにリュウケンをまじまじと見ていた。見られている当人は怪訝そうな顔で首を傾げる。
――やがてナッカラーはふっと苦笑いを浮かべた。
「いや、いい。出直すことにしよう」
「えっ?」
当惑するリュウケンを尻目に、ナッカラーは来た時と同じように壁を越えて消えた。
「なんだったんだ?」
エドモンドは呆れた表情でリュウケンを見た。しかしリュウケンにだって何がなんだか分からない。リュウケンはかぶりを振った。
「よう、シルバー! 今日も元気に練習してるか!」
拍子抜けから立ち直らないうちに、今度はゴールド三兄弟が乱入してきた。
「来るたび来るたび同じ声のかけかたするな、アーム」
マグナムが苦笑しながら言う。
「気にするな。なんだっていいじゃねぇか」
アームも同じように苦笑しながら答える。
「今日はウインディ来てないのか?」
フットは一番近くにいたシルキーにそう話し掛けた。
「っていうか、来る方が珍しいよ。この前は運が良かったんだよ」
「そうか……」
フットは少し残念そうに肩をすくめる。
「そういえば、他の奴等は時々来るのか?」
とマスク。
「うーん、GZ以外なら。あ、でも、十郎太は来てないな」
シルキーはやや寂しそうに答えた。
「そうそう。多分、山に篭ってんだろうーぜ」
とボビーが笑いながら言う。
「そういう言い方はないだろーに」
とカール。
「え、でも本当にある得るだろ?」
とボビーは言い返す。
「だとしても、もう少し言い方ない? お前が言うと少し馬鹿にしてるように聞こえるよ」
「えー。そんなつもりはないんだけどなぁ」
「まぁまぁ。別にいいじゃねぇか。そこで言い争いすんなや」
笑いながらフットが仲介に入った。別に言い争いしてるワケじゃないんだけどと思いながらも、ボビーとカールはフットに謝った。
「さーて、野球の練習してたんだろ? 暇だったから俺達も手伝ってやるよ」
「だから、同じセリフ使わないで、簡潔に野球の練習をしようって言えばいいだろう?」
アームの言い方にまたもマグナムは苦笑しながらつっこむ。今度はアームは笑っただけだった。
シルキーはちらりとリュウケンに視線を向ける。
リュウケンはマスクに引っ張られてグラウンドへ駆け出すところだった。
「俺と勝負しろ」
夕暮れ時、野球の練習をちょうど終わらせたところに再度現れたナッカラーが、挨拶もなしに突然リュウケンにそう告げた。
リュウケンは驚愕のあまり、ナッカラーをまじまじと見た。表情からして冗談を言っているようには見えない。リュウケンはどう言葉を返そうかためらった。
「勝負って……野球の?」
リュウケンの本日の生活の流れからそうなってしまうのだが、もちろん違う。リュウケンも言いながら分かっていた。
「空手の、だ」
釘を刺すようにナッカラーが言う。
リュウケンは少し嫌そうな、悲しそうな表情を浮かべた。
「僕、無闇にそういうことはしたくないんだけど……」
「分かっている。それを承知で言ってるんだ」
「……」
リュウケンはふと、一人のアイアンボクサーを思い出した。これは、あの時の、切羽詰った緊張と、同じものだ。だが、リュウケンが拳を握るまでには至らない。
「どうして?」
「勝負したいからだ。それ以外何もない」
「……」
拳を握るまでには至らない……のだが、断ることもできなかった。困惑しながらも、なんとか真意を読み取ろうとナッカラーを見つめる。
「本当は、一度来た時にお前を見て諦めようと思ったんだ。何故だろうな……お前を見た途端、コイツは絶対駄目だって気がして。でもしばらくしてから、お前でなくては駄目だって思った」
だからナッカラーは再びやって来た。
「……」
何故、彼は勝負したいと思ったのか。もしからしら勝負した先に分かるのかもしれない――
しばらくの沈黙の後。
「分かった」
リュウケンは意を決して答えた。
「リュウケン!」
ルリーが心配そうに名前を呼ぶ。
「待ちな」
駆け出しそうなルリーを、アームが手で制した。
「なんか、分かる気がする。過去、ラフプレイに走っていた俺には」
「え……?」
聞き返したが、アームはそれ以上何も言わなかった。ルリーはフットとマスクを振り返ったが、彼等も口を閉ざす。ただリュウケンとナッカラーの行く末を見届けようとしていた。
緊迫した空気の中、グラウンドの中央で空手リーガーの二人は対峙した。
互いに構える。
じりり、と地面の土が鳴った。
「勝負はすぐに決まる、な……」
リカルドがぽつりと呟く。
ナッカラーが握る拳に更に力を入れた。
「いくぞ!!」
宝剣山ナックル!!!
ナッカラーの拳が唸りを挙げてリュウケンに迫る!
「リュウケン!」
シルバーの何人かが思わず叫んだ。
リュウケンは一体どう応戦するのか見届けられる中、なんと彼が取った行動は――
「!?」
誰もが我が目を疑った。
リュウケンが構えを解いて自然体になったのだ。
剛拳が目前まで!
「――」
……ナッカラーの拳が、リュウケンの顔のすぐ手前でぴたりと、止まった。
互いの視線が交差する。その瞬間、リュウケンはふわりと微笑んだ。
ナッカラーも苦笑いを浮かべる。そして拳を引いた。
「どうせお前はそういう奴だ。あばよ」
言い終わるな否や、ナッカラーは踵を返して歩き出した。
「そして君はそういうリーガーなんだよ」
最後にそう言葉をかけたリュウケンに、小さく「ありがとよ」と答え、ナッカラーは壁を越えて姿を消した。
マグナムがふいにシルキーを肘で突付いた。
「え?」
振り返ったシルキーにマグナムは顎をリュウケンへ向けてしゃくる。シルキーは照れ笑いを浮かべて駆け出した。
「リュウケンっ」
「シルキー」
ナッカラーが消えた方を見つけていたリュウケンは、はっと我に返ってシルキーに向き直った。
「ゴメン。そういえば話を聞き損ねていたね。何?」
「うん。あのさ」
「リュウケン!!」
シルキーが切り出したところで、周りの叫びにまたしても言葉を掻き消されてしまった。
「なんかよく分からないけど、すごかったよ」
「そうそう。びっくりしたよー。いきなり構えを解くんだから」
感極まったリンキー達が早口でそうまくし立てる。リュウケンはただ「うん」と答えて微笑んだ。
「ああ、もう!」
シルキーは苛立たしげにぼやいた。
「シルキー」
そこへリカルドが歩み寄ってきて、肩を叩いた。
「そこで引き下がってしまわないで、しっかり伝えなさい」
「っ……」
その言葉に力付けられ、シルキーは「よしっ」と小さくガッツポーズを取る。そして。
「リュウケン! さっきはありがとな!!」
今度こそは掻き消されまいと、シルキーは力の限り大声で叫んだ。
何事かと一瞬にして静まり返った中、リュウケンははにかんだような微笑みを浮かべて首を振った。
「ううん。いいんだよ」
それだけの返答にシルキーはとても感動し、思いっきりリュウケンに抱き付いた。
「なんか俺、すっごいハッピーな気持ちになっちまったよ! トップジョイみたいな言い方だけどさ!!」
シルキーのハッピー振りに周囲は一斉に笑った。何人かは小馬鹿にするようにシルキーを小突く。
リュウケンがスイングしたバットの回転範囲に、わずかながら入り込んでいたシルキーに当たらないよう、慌てて軌道を変えてしまったため、バットにかかる力のバランスが崩れて思いっきり飛んでいった――という事実を知っているのは、リカルドとエドモンドとマグナム、そして当事者のシルキーだけであろう。
ルリーは周りの騒ぎに巻き込まれないよう注意しながら、リュウケンに近付いた。
「なんか、よく分からないけど、感動しちゃった」
「オーナー」
「でも、あまり無茶なことしないでね? 心配なんだから」
「はい」
もしナッカラーの拳が寸止めにならなかったら。ルリーは信じていながらも、冷や冷やした気持ちだったのだ。
リュウケンはいつも自分達を心配してくるルリーに、一番の微笑みを向けた。
END
1999年5月に書いた小説です。当時入っていた会員制ILサークルに投稿しました。
まぁ、一部加筆修正してありますけど(笑
以下は当時のあとがきから抜粋。
『この物語は“見えるもの見えないもの”と題にもある通り、明らかに重要な部分が書かれてません。
意図的に書きませんでした。
はっきり言って、アイアンリーガーの話自体、言葉で表すことが出来ない部分が多いと思うのです。
熱血とか友情とか、そんな簡単な言葉では表しきれません。
ストーリーを説明するにあたり、ある程度の言葉は必要ですが、ストーリーを楽しむとか、そういうことに関しては表せない方がいいと思うのです。
そして、この小説もイメージとかインスピレーション、そういったもので感じて欲しいんです。
なので書きませんでした。
重要な部分について、考え方は人によって違うと思うのです。
さて、貴方はどう考えたでしょうか?
その考えが、私と違うものであれば、私の企みは達成された、ということになります』
なーに小生意気なこと言ってるんですかね、当時の私(笑)
まぁ、考えてることはいいとしよう。ただ、やはり小説は拙いな〜
若いわ私。面白い。
ただ、物語の着眼点はやはり私だな〜とも思いました。面白い。
というワケで試しにアップしました(笑