逃亡者の胸の内

IL−TOP
 時計は夜の9時を回ったばかりだ。
 夏の夜気はらむ閑静な新興住宅街を、ワイルドホークは彼が所属する野球チームのキャッチャーと共に歩いていた。キャッチャーの知り合いが開いたというバーを冷やかしてきた帰りである。
 夜の住宅街は人通りが皆無。彼等の脇を通り過ぎていく車も数分に一台で、最後に見たのは路線バスだ。おそらく最終便だろう。アルコールがもたらす心地よい回路の過熱に任せて談笑をする二人だったが、声のトーンは自然と下がる。そういう配慮を忘れるほどにはリキュールオイルに飲まれていない。酒は呑んでも呑まれるな、だ。
 ――だから“彼女”は彼等の接近には全く気が付かなかったし、一方ワイルドホークはかなりの遠目から彼女を認識できた。
 街灯に照らされ浮かび上がるバス停、ベンチ。そしてそこに佇む一人の少女。
「あれは」
 誰であるかすぐに思い至ったワイルドホークは、微かに驚きの声をあげた。
「知り合いか?」
「知り合いも何も」
 キャッチャーの問いにワイルドホークは感慨深く言葉を返す。何故ならあの少女は恩人達が所属するチームの……



 UN社の追っ手から逃れるために乗ったバスは最終便だった。今日の役目を終えれば後は回送となって車庫に帰るのみ。辿り着いた終着でルリーは仕方なくバスを降りた。
 走り去る四角い後ろ姿をなんとなく見送り、備え付けのベンチに座り込む。本当なら追っ手を警戒して街灯の下から早々に立ち去らなければならなかったが、生憎と疲れ果てて叶わなかった。とりあえず周囲に人の気配はしないようだから良しとしよう……もっとも自分には、物語の中の格闘家みたいに気配を察知する能力など持ち合わせていないのだが。
 そういえば最後に物を飲み食いしたのはいつだっただろう。幸いお金はまだ余裕があるものの、追われる身ゆえ常に緊張状態にあったために食欲など湧かないし、それ以前に胃に意識が向かなかった。こうして疲れ果ててやっと思い出したくらいなのである。
 時計を見ると午後9時を回ったところだ。よし、コンビニに行ってパンと甘いミルクティーを買おう。それからタクシーを拾って何処か安いビジネスホテルに。
「!」
 アイアンリーガーの足音がしてルリーはぎくりと身を強張らせた。いつUN社が追っ手にアイアンリーガー/ソルジャーを投入してくるか心穏やかでなかった彼女は、考えたくなかったが、アイアンリーガーですら今となっては脅威の一つなのである。
 逃げ切れるだろうか。リーガーとの距離を確認する。
「……あれ?」
 等間隔に立てられた街灯の下に見えた姿に、ルリーは今まさに逃げようとしていた体を無理矢理引き留めて闇を凝視した。今のは見覚えのあるリーガーではなかったか。
「やっぱりそうだったか」
「ワイルドホーク!」
 やはりそうだ。元はぐれリーガーで、マグナムエース達との試合を通してスポーツマンとしての心を取り戻した名ピッチャー。一緒にいるのはチームメイトのキャッチャーだったはず。驚いた顔でルリーを見ている。
「あれ? アンタはシルバーキャッスルの」
 キャッチャーの疑問を引き継ぎぐように、ワイルドホークが名を呼んだ。
「確か、ルリーちゃんだったか」
「んぐっ」
 ルリーは思わず噴きかけた。ま、まさかワイルドホークにちゃん付で呼ばれるとは……
「ん? 間違えたか?」
 ルリーの動揺を勘違いして受け取ったワイルドホークは首を傾げる。そこへすかさずチームメイトが突っ込んだ。
「おいおい、相手は若くても一チームのオーナーだぞ。ちゃん付はねぇだろ」
「む、そうか」
「あ! いいよ別に、呼びやすいように呼んでもらって構わないから」
 ルリーは慌てて手を振った。
「それに、もう……オーナーじゃないし……」
 気まずそうに顔を伏せ、自嘲混じりにぽつりと呟く。
「そういえばお前さん、失踪扱いになってたな」
 シルバーキャッスルに何が起こったのかニュースで知っているのだろう、ワイルドホークは合点したように言った。
「一体何があったんだ?」
 とはいえ、それでも納得のいく情報を得られないのが現状だ。何せUN社からは自社に都合のいいようにしか発表されない。ワイルドホークの問いももっともである。
「……」
 だがルリーは答えることができなかった。他でもない、自分の落ち度を露呈することになるになるから。まだ気持ちの整理がついていないのだ……
「……ごめんなさい」
「そうか」
 ワイルドホークはルリーの気持ちを察したらしい、それ以上問うことはなかった。
「だが女の子一人がこんな時間にこんな所にいるのは感心しないな。何をしてるんだ?」
「あ、うん、たまたま乗ったバスが最終だったから。これからビジネスホテル探そうかと思ってたところなの」
「なら俺等んとこに来ればいいじゃね?」
 キャッチャーが提案する。
「え」
「それもそうだな。金もかからないし、いいだろう」
「え、ここってワイルドホーク達のホームなの?」
「俺達のホームが何処なのか知らなかったのか……」
「ううん、違うの! 何処に向かうバスか気にしないで乗ったから」
 ワイルドホークの少しがっかりしたような声に、ルリーは慌てて弁解する。しかしそれが別の気がかりを引き寄せてしまったようだ。
「何処に向かうバスか気にしないで乗った?」
「あ。あー……うん、まぁ、ちょっと……」
 自分の失言にげんなりしながら曖昧に答える。ワイルドホークとキャッチャーはしばし訝しげな視線を向けていたが、肩をすくめただけで何も言わなかった。
「じゃ、行くか」
 ワイルドホークはそう言ってルリーを促したが、ためらってしまう。
「でも、迷惑かけることになるかも」
 何せ追われている身なのだ。しかしワイルドホークはマスクの下で穏やかに笑ったようだった。
「気にするな。困った時はお互い様だ」





「んーっ」
 連絡を受けていたらしいスタッフが、仮眠室に備え付けてあるバスタブに湯を張ってくれていた。足をしっかりと伸ばせるお風呂は久し振りだ。ルリーは目いっぱい伸びをした。風呂自体、久しいかもしれない。ゆったり湯に浸かる気になどなれず、ずっとシャワーで済ませていた。
「はー……」
 久し振りに浸かったお風呂は体全体に染み渡るような温かさで――ルリーは思わず涙腺が緩みそうになる。ダメダメ、泣いちゃ。ここで心を折らせるわけにはいかないのよ。慌てて顔にバシャッと湯をかける。まだ作戦も何にも決まってないけれど、シルバーキャッスルを取り戻さなきゃならないんだから。
「……」
 取り戻す、か。そもそも無責任に放り出すようなことをしたのは自分だというのに、“取り戻す”だって。ルリーはシルバーを出てから何度も繰り返してきた自嘲をまた零した。思い出したくないのに、ふとした瞬間に思い出してしまう。あの、忌まわしい失態を。
 忘れることなどできやしない。忘れてはならない。ルリーは、

 父が紹介してきた話だと油断して。
 UN社が提案してきた契約内容をろくに読まずに。
 サインした。

 その結果が、今のシルバーキャッスルの姿だ。
 最初は、何故父は何も言わなかったのかと内心で責めた。だがオーナーは他でもない自分なのである。その自覚があまりにもなさすぎたと、今更悔やんでも悔やみきれない。
 ――だから、オーナーキーを持って失踪した。自分が招いた種ならば、自分で刈り取らなければならない、そう思ったから。
 指に引っかけていたオーナーキーを手の平に乗せて覗き込む。いつ盗まれるかと不安で、それこそ肌身離さす持ち歩いているそれを、確かめるように握りしめた。
 へこたれているわけにはいかないのだ。
「…………みんな……」










「困ったことがあったら遠慮なく来いよ、ルリーちゃん……じゃない、オーナー」
 翌朝、車で駅まで送ってくれたワイルドホークが言う。
「うん、ありがとう」
 オーナーではないのにオーナーと言い直してくれた優しさにできる限りの笑顔で応え、ルリーは車を降りた。今度会う時はフィールドがいいと願いながら。
「じゃ!」
 ドアを閉めた後は振り返らなかった。通勤ラッシュに紛れるように人混みに駆け込む。身を守るためでもあるし、気持ちを奮い立たせるためでもある。優しさに身を委ねる危うさは容易に想像できる。
 今は、立ち向かう時。途中、何度も疲れ、後悔に押し潰されそうになり、泣きたくなっても、最後は顔を上げて、走るのだ。





 人混みに紛れて消えた小さい背中を見送りながら、彼女はいったい何を抱えているのだろうとワイルドホークは思った。
 信じられないシルバーキャッスルの今の姿と、失踪した“元”オーナー。只事ではない何かが起こっているのだと、考えなくても分かる。あの少女は、その何かに立ち向かおうとしているのだろうか。
「……」
 16歳という年齢が、人間にとってまだ保護や支援を必要とする未熟な存在、いわゆる“子供”であるということを、ワイルドホークは知っている。その子供が強大であろう何かを相手に孤軍奮闘しようとしているのであれば、心が痛む。
 彼女とてあのシルバーキャッスルの一員、きっと確固たる意志を持って突き進んでいくのだろうが、もう少し直接的な助けとなれないものだろうか。そもそもシルバーキャッスルはマグナムエースを筆頭に、他者に手を差し伸べるが差し伸べられるのは潔しとしない風がある。この先もずっと彼女は一人で戦っていくかもしれないのか思うと少し悲しくなった。



END
アイアンリーガーにルリーちゃんと呼ばせよう計画(笑)
あとフラッシュキッドやダークの量産型リーガーが呼びそうだよね。

ちなみにシルバーキャッスルが何故UN社に乗っ取られたかという話は、某アニメ雑誌に掲載されていた小説によるものですので御了承下さい。
IL−TOP

-Powered by HTML DWARF-