海蛇

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 目を覚ますとそこは、田舎の町工場のようなメンテナンスルームだった。
 見慣れた光景ではない。しかし何処なのかは考えなくても分かる。
 シルバーキャッスルの基地。強制引退の騒動から助けられた自分達は、どうやらここでショックサーキットを外してもらい、丁寧なメンテナンスを受けたようだ。移動の途中で意識を失ってしまったから覚えていないが、今現在の調子でよく分かる。
 辺りを見回すと、閉ざされた薄闇の中、隣りの充電ベッドに兄二人が休んでいるのがうっすらと見えた。

 ――良かった。本当に助かったんだ。ちゃんと三人揃って。

 ゴールドマスクはほっと胸を撫で下ろす。
 ……と、その時人間用のドアが開き、無機質な光が部屋に差し込んだ。
 入ってきたのは、シルバーキャッスルのオーナー・ルリー。
「……あら、起きてたの?」
「ああ……」
 とっさに何を言えばいいか分からず、マスクはそれ以上言葉を紡げなかった。ルリーが近付いてくるのをただ眺める。
「体の調子はどう?」
「あー……大丈夫……」
 そして礼を言わなければならない立場にあることに気付き、ありがとうと付け足した。
 少女はいいのよ、とにっこり笑う。屈託のない、純粋な明るい笑顔だ。つられてマスクも口元をほころばせた。
「ちょっと待ってね。今、オイル出すから」
 言うが早いか、ルリーは部屋の隅に置かれた箱に駆け寄った。
「あ、えーっと……お構い……なく……」
 使い方を間違えてはいないだろうかと心配になりながら、言い慣れていない言葉をかける。
「いいかいら、いいから」
 そう言ってルリーはオイル缶をマスクに差し出した。無下に断るのも悪い気がして、マスクは素直にそれを受け取った。
「ありがとう……」
「どういたしまして。多分エネルギー供給が完全じゃないと思うから、飲んだらまた休んだ方がいいよ」
 何せウチのベッドは旧式の中古だからね、とルリーは舌を出す。確かにとマスクは思ったが、口には出さずに苦笑いだけにとどめた。
「ゴールドアームとゴールドフットのオイルはそこに置いておいたから、もし起きたら渡してね。じゃ、オヤスミ」
「えっ、何しに来たんだよ?」
 踵を返したルリーに、マスクは慌てて声をかけた。今は、普通なら眠っている時間である。にも拘らずこの少女は起きていた。
 しかしここで何か用を済ませたようには見えない。
 マスクの驚きを受け、少女は首をかしげ。

「様子を見に来たのよ」

 さも当然のように答える。マスクは唖然として言葉を失った。
 夜・夜中、わざわざオーナー直々に、他所のリーガーの様子を見に来る、だ?
 前々から変なチームだと思っていたが……メンバーがメンバーなら、オーナーもオーナーだ。まったく大した奴等だ、シルバーキャッスルは。
「わざわざ悪いな、ありがとう。オヤスミ」
「はーい、オヤスミ」
 笑顔を残し、ルリーは出て行った。ドアが閉められ、再び闇が部屋を覆う。
 マスクは息をつき、オイル缶の栓を開けた。安物の低級オイルだ。妙な舌触りと後味が気になったが、不思議と不味くはなかった。

 なんて……なんて暖かな雰囲気。ダークには欠片もなかった。

 無機質な空間と、歪んだ人の心。あんな所で生まれ、育ったんじゃ、スポーツの本当の楽しさも、他者を大切に思う気持ちも、分かるはずがない。持てるはずがない。
 マスクはオイル缶の取っ手を持つ手に力を込めた。

 ――本当にそうか? 俺は知らなくて当然の環境にいたのか?

 ……認めたくない。でも本当は分かっている。答えは……NOだ。
 だってウインディは知っていたじゃないか。ダークがどんなに愚かな事をしているのか。だからダークプリンスを抜けた。
 そして、マグナムも――

 胸の中で何かが急激に膨れ上がり、マスクは苦しくなった。こういうのを息が詰まると言うのか。開けた空間と光を求め、彼はメンテルームのシャッターを開けて外に出た。
 嫌なことに、空には月はおろか星一つなかった。港湾を隔てた対岸に、微かに街の灯が見えるのみ。穏やかに吹く夜風がせめてもの救いといったところか。
 マスクはコンクリートの縁に腰を下ろし、海面を見下ろした。

 黒くうねる様は、まるで歪んだ人の心のよう。そして、自己嫌悪に陥った自分の心のようでもある。

 俺は知ろうとしなかった。何事も、自分で考えようとすらしなかった。ダークから与えられた設定に何の疑いも抱くことなく忠実に従い、そしてただ兄貴達を追いかけて。
 だから何も知らなかったし、自分一人では何の力もなく。
 マスクは吐き気を覚えて口をおさえた。

 悔しかった。惨めでたまらなかった。
 結局ダークから兄貴たちを救ったのは、俺じゃない。それどころか俺はなんの……

 強い不快感が腹の中で暴れている。逆流しそうになる。
 だが、折れたくなかった。
 ルリーの笑顔を思い出す。
 シルバーの面々を思い出す。
 そして、手を差し伸べてくれたマグナムエースを思い出す。
 マスクは残っていたオイルを一気に飲み干した。手の甲でぐいと口元をぬぐい、うねる海面を睨みつける。

 ……これで終わってたまるか。

 無理に口の端をにいっと上げる。
 見てろよ……
「借りは必ず、返す」
 いつか、フィールドで。

 ――握り締めた拳が、震えていた……



END
マスクはここから走り始める……のだと勝手に妄想。
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