004のはなし。

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<てふてふ>



 庭に出ると、空は雲一つなく快晴そのものだった。
 風が穏やかに吹く、眠くなりそうなぽかぽか陽気。
 ちょうちょが一羽ひらひらと飛んでいる。
 小さな小さな白いちょうちょ。
 日本ではモンシロチョウとか言ったかな、とハインリヒは考える。
 花を捜しているのか、陽気に誘われ散歩でもしているのか、そんなことはちょうちょにしか分からないことだが、とにかくちょうちょはひらひらとハインリヒの周りを飛んでいる。
 何気なくその姿に目を向けていると、名坂そのまま視線が外せなくなった。
 いや、多分そんなことなど頭になかったのだろう。
 何を見ているのか、もとより何をしているのか、そんな認識すらないのだろう。
 ハインリヒはただちょうちょを眺めていた。
 やがてちょうちょは上昇を始めた。
 一所懸命、羽をてふてふ動かして、空へ空へと上っていく。
 その先に何かあるのか、ただのきまぐれか、やはりそんなことはちょうちょにしか分からないことだが、とにかくちょうちょはハインリヒの身長を超えて空へと向かう。
 ちょうちょを追ってハインリヒは顔を上げた。
 視界いっぱいに青空が広がった。

 空は雲一つなく快晴そのものだった。
 風が穏やかに吹く、眠くなりそうなぽかぽか陽気。










<花>



 買い物に出ていたフランソワーズとジョーが花を買ってきた。
 ギルモア博士にはオレンジ色のパンジーを一ポット。
 フランソワーズは自分のために色とりどりのガーベラを。
 ジョーは赤いチューリップ。
 そしてハインリヒには。
「……俺に、ユリ?」
 きれいにラッピングされたユリの花束を見下ろすハインリヒは複雑そうな顔。
「きれいだろ? 一目見てハインリヒだって思ったんだ」
 そう言うジョーは満面の笑顔を浮かべている。
「…………何処をどうしたら俺にユリ……」
 もとより俺に花なんぞ、と思っていたり。
 しかしジョーは笑顔でこう言う。
「ハインリヒには優雅な白い花が似合うと思うんだ」
「……俺の頭が白いからか」
「うーん、それもあるのかもしれないけど」
「ハインリヒなら赤いバラの花束でもいいんじゃないかね? かっこ良く見えると思うが」
 ギルモア博士がそう言うと、ジョーはダメダメと首を振った。
「確かにかっこいいですが、それは女性にあげるのを前提にしたイメージでしょう?」
「あー、それもそうじゃのう」
「ハインリヒ自身には優雅な白い花。これは譲れないね」
「はあ……」
 気の抜けた返事をしつつ、ハインリヒはユリを見下ろす。
「俺にユリ、ねぇ」
 俺に花ねぇ、と心の内で。
 思わず苦笑いが浮かんだ。
 ユリが上目遣いでハインリヒを見上げている。
 控えめに。でもしっかりと自己主張をして。
 淡い淡い純白の光を放って。
 ふふん、でも実は周りの評価なんて気にしないのよ。
 私は私。
 咲きたい時に咲きたいように咲いてるだけよ。
 ……なんて思ってるかどうかは分からないが。
 ハインリヒはくすぐったい気持ちになった。
 俺に花か。










<夜の世界>



 夜の世界にさざ波の音が広がっている。
 ざざーん……ざざーん……ざざーん……
 涼やかな風と戯れながら、ざざーん、ざざーん、ざざーん……
 星と三日月が、さながら遊ぶ子供を見守る親のようにそれを見下ろし輝いている。
 バルコニーでウォッカをあおりながら、ハインリヒが何気なく眺めていると、フランソワーズが隣に立った。
「いつ見ても、きれいな景色ね」
 そう言ってフランソワーズは微笑んだ。
 風がふわりと彼女の髪を撫でる。
「月下美人、なんてな」
「あら。お世辞言ったって何も出ないわよ」
「お世辞じゃないさ」
 ハインリヒはグラスを傾ける。
「お前さんには月と星がよく似合う」
「私が金髪だから?」
「……それもあるかもしれないが」
 そして二人で笑う。
「何考えてたの?」
「海と月と星のことさ」
「海と月と星のこと?」
「そう。いつもと変わらない、穏やかな夜景」
 そして再びグラスをあおる。
 目の前には、いつもと変わらない、穏やかな夜景。

 そして一日は過ぎていく。






平成16年5月に発行したコピー本より。
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