不粋な話

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大事な弟を独り置いて先に逝く。
何も、何も知らぬ弟に、ならば。

ならば、せめて。

この――











 富樫は疑問に思った。
 兄が死ぬ間際に残した言葉にだ。
 復讐という、冷たくも激しく燃えるような感情から解放されて、兄の死と冷静に向き合えるようになったからなのかもしれない。病院のベッドの中で富樫は、とつとつと兄の記憶を思い起こしていた。
 両親を早くに亡くした富樫にとって、兄・源吉は唯一家族と呼べる存在だった。優しく、時に厳しく、まるで親のようでもあった兄。真の男となるべく男塾へ入塾した、その半年後――突然、他界した。
「男塾三号生筆頭、大豪院邪鬼……大威震八連制覇……!」
 兄が死の直前、弟に残した言葉……その時富樫は無惨にも死に追いやった“大豪院邪鬼”への復讐に燃え、そして誓ったのだ。残された言葉の意味を深く考えることなく。兄の言葉はただの手掛かりでしかなかった。
 仇討に決着をつけ、大威震八連制覇を終えて、思考の一部を麻痺させていた復讐心が消えた今、富樫は疑問に思うようになった。
 兄は何故弟に己が死の手掛かりを残したのか。
 仇討をさせたかったのだろうかと考えてみる。しかし富樫はそれを受け入れられなかった。常に弟のことを考えていた兄。そんな兄が、弟に復讐を望むとは思えないのだ。もし自分が邪鬼やセンクウに殺されていたら、兄は己を責めていただろう。なんて親不孝……ならぬ兄不幸だと少し心が痛んだが、終わってしまったことをあれこれ考えていても仕方がないと、ため息と共に吐き出した。
 では、兄の言葉にはどんな意味があった? 考えに考えたが、富樫にはそれが思い浮かばない。漠然とした、曖昧な想像すらできなかった。
 桃だったら分かるだろうかと、隣りのベッドを盗み見る。だが訊いてみるまでには至らなかった。兄が他でもない自分に残した言葉の意味を、他でもない自分が汲めないでどうするという、悔しい思いがあった。


 そうして結論も仮定も出ないまま、しばし時が過ぎる。





「不粋な話ではあるが」
 センクウが言う。病院の屋上である。センクウはまだ車椅子を手離す許可を主治医からもらっていないようだ。方や富樫は明日退院する身であった。天挑五輪大武會から一ヶ月たっていた。
「貴様の兄のことだ」
「兄貴の、話ですか」
 富樫は緊張した。兄の真意は未だ掴めないでいる。
「貴様は疑問に思わなかったか? 大威震八連制覇で重傷を負ったにもかかわらず、皆助けられているというのに、何故貴様の兄は死なねばならなかったのか」
「俺達が助けられたのは、天挑五輪大武會に出させたかったからじゃねぇんですか」
 確かに富樫は、あのような非常に優れた医術があるなら、兄を助けてくれても良かったのではないかと、思ったことはある。しかし塾長の心にあったのは天挑五輪大武會への参加、そして藤堂兵衛への報復である。その悲願を達成するために、能力不足と兄が判断されたのなら、施術を受けられなくても仕方がなかったのではないかと諦めていた。男と男の、死を賭した真剣勝負だったのだから。
「そうか。そういう考え方もあったな。では尚更不粋な話になってしまうな」
 センクウは苦笑した。
「……続きを聞かせてはもらえませんかね?」
 何か他に真実があるような言い方をされては、気になるというもの。それに、もしかしたら“手掛かり”になるやもしれぬと、富樫は思った。
「もちろんだ。一度出しかけた話だしな」
 センクウの視線が富樫から外れ、フェンス越しの街並を捕える。だが本当に見ているものは、そこにはないようだった。
「塾長とて、塾生の死を歓迎しているわけではない。塾長は、男が死を賭して闘う覚悟・決意や、その姿の価値を語っておられるのだ。その果ての死が尊いものであると知ってはおられるが、死ぬことを推奨しているのでは、決してない」
 へぇ、そうだったのかと富樫は内心驚いた。だが言われてみればその通りなのかもしれないとも思う。
「若者は未来を担う大事な存在だ。だからこそ、塾長は塾生に期待をかけ、未来を切り開いていく力を付けさせるために、あえて立ち向かわせておられるのだ。しかし死なせてしまっては元も子もない。だから塾長はできうる限り塾生を助けようと尽力しておられる」
「じゃぁ、天挑五輪大武會がなくても、俺達は助けてもらえたってことですか」
「そうだ。四年前の赤石の二・二六事件の時も、校庭が血の海にはなったが、死者は一人もいなかったのだぞ」
「えっ!?」
「確かにその後、後遺症やトラウマのせいで退塾を余儀なくされた者はあったがな」
「そうだったんスか……」
 それは驚きだ。だが考えてみれば、赤石は理由もなく無闇やたらに人を斬り殺したりはしない男のはず。一年後輩をし、そして天挑五輪大武會での戦い振りを見て、それくらいは気付いた。
「……思えばあの年も因果な一年だった。昨年の布石とすら思える」
 感慨深げにセンクウが言う。
「因果、っつーと?」
 富樫の兄や赤石の話以外にも何かがあったような先輩の口振りに、富樫は首をかしげた。
「伊達の二・一五事件も同じ年だ」
「あ」
 そういえば、同じ四年前だったと思い至る。
 教官を殺して男塾から逃亡し、刃を交えて戻ってきた伊達。一号生を血の海に沈めて停学処分を喰らい、戻ってきた赤石。そして……兄を失い、仇討に来た自分――なるほど、布石。これが因果というものか。
「さて、少し話が逸れたな。……貴様の兄も、同様に施術を受けたのだ。だが、助かった者達とは何かが違ったのだろう。力は尽くされたが、助からなかった」
 その“何か”とは運だろうか、それとも運命だろうか。富樫には分からない。おそらく誰にも分からない。
「富樫」
「押忍」
「兄は、類稀な好漢だった。潔い戦いをした。敗北するその瞬間まで、ひたすら立ち向かい、尽力した。あれが富樫源吉の男としての生き様だった」
「!」
 富樫源吉の生き様。富樫は自分の中で何かが閃いた感じがした。結局それははっきりとした形にはならず、闇へと消えていったが――
 それが、それこそが、兄の。
「……」
 あぁ、分からねぇ。でも、今確かに、何か……
 富樫は目元を隠すように学帽の鍔を下げた。胸の底から熱いものが迫り上がってくる。懸命に抑えようとした。抑えきれない。未だ兄の真意が分からないというのに、心が温かくて、切なくて、仕方がない。
「兄を、誇りに思え。そして忘れるな」
「押忍」
 もちろんだ。いつだって兄は最高の存在で、富樫源次のルーツなのである。
 それを改めて認識させてくれた尊敬する先輩に、感謝を。
「押忍、ごっつぁんです! ありがとうございました!!」
 深く、頭を下げた。
 センクウは「ここは病院だ、もう少し静かにしろ」と、笑った。





END
2008年の1月か2月辺りに出した富樫小説本より「不粋な話」でした。
基本的に、男塾の物語に補完・補足は不粋、な宮代なんですが、
それでも同人屋の宿命なのか書きたくてしょうがなく、欲望に従い妄想を開始。
ところが書いている内に、
「なんて不粋をしているんだろう!?」という思いがだんだん強くなってきて、
結局オチなしで終わらせてしまったという経緯が。
本当はちゃんと理由考えてたんですけどね。
というワケで、お好みに汲んで下さいませ。
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