忠誠

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 それは亡人にそぐわぬほどに真っ白な墓石だった。
 かの王の命令により、礼を尽くして葬られた闇の帝王の墓標。
 その前には思いがけず沢山の花が供えられている。
 今ではもう見る影もなかった皇帝の悲願を、覚えている者は多かったのだ。
 闇に染まっていく皇帝の姿に嘆きながらも、何もできない己を蔑み……そして、結局最後には裏切って、死神にすがった自分のように。

 ――主の目を覚まさせることも、家臣の忠誠の内。

 後悔はしてない。だが己に言い聞かせた言葉が、まるで質の悪い言い訳のように心をさいなむ。
 止めなければならなかった。無力と分かっていても、足掻かなければならなかった。
 そのことにもっと早く気付いていれば、結末を変えられただろうか――
 きっとあの方なら気付いて下さる。過ちを犯すはずがない……そう己に思い込ませて国内に目を向けなかったのは、他でもない自分。それが忠誠であると信じたかったが、それで全てが丸く片付くほど人の心は単純ではないし、複雑でもない。
 皇帝はもはや盲目となり、暴走して自滅した。
 ――自滅? 馬鹿な……
 彼は首を振った。頭の中で渦巻く感情の断片達を振り払おうとした。ほとんどがこぼれ落ち、罪悪感だけが残った。
 ああ、だが。
 分かり切ったことだ。覚悟だってしていた。今更……そう、今更だ。墓標の前で己を振り返るなど、愚かしいことを。
 彼は己の剣を墓の前に突き立てた。
 ここへは“けじめ”をつけに来たのだ。さっさと終わらせてしまおう。待たせるわけにはいかない。
 地面に座禅を組み、短剣を抜く。
 街の者達にはこの後少々迷惑をかけることになるが、容赦してもらおう。
 ドウエル様――
「今、参ります」

「待って!!」

 突然墓地に響いた少年の叫び。この場に似合わぬ、高く通る声。
「待って、下さい……大隊長」
 振り返ると、遊び盛りの幼い少年が立っていた。年に不釣合いな硬い顔をして。
 その子には見覚えがあった。
「君は確か……」
「新セルディオ党の代表、ポポです」
 そうだ。戦争の終結が正式にバージル公国から宣言された時に一度会っている。そしてこの少年はドウエル皇帝の葬送の儀の時にも尽力してくれた。
「……止めてくれるな。私はサンドラ帝国の大隊長として、責任を取らねばならない」
 しかしポポは首を振った。
「そういうわけにはいかないんです。あなたにいなくなられては困るんです!」
 言葉に強い意思を込め、少年は訴える。
「……何故?」
「僕はあなたに、新しいカザスの市長になってもらいたいんです!」
 大隊長は耳を疑った。
「私に、市長……!?」
 なんと突拍子もないことを言い出すのだろう、この少年は。大隊長はポポの顔を伺った。冗談を言っているようには見えなかったが。
「それは……無理だろう。市民が納得すまい。それに……」
 一度言葉を止め、主の墓に視線を戻す。
「先に言ったように、責任を取らねばならない」
 臣下として皇帝の乱心を止められなかった責。
 大隊長として帝国兵達の民への悪行を抑えきれなかった責。
 自分一人の命では足りないだろう。だがだからといって何もしないわけにはいかない。
 それに――それに。
 仕方なかったとはいえ、皇帝を裏切り、その命が失われるよう仕向けた己の行いを、主君に詫びなければならない。
「これは……必要なことなのだ」
「……」
 沈黙が、舞い降りる。ポポは何も言わない。大隊長は話が終わったと思った。
「――さあ、街へ戻りなさい。君にはまだやるべきことがあり、待っている者達がいる」
 それに、子供が見るべき光景はない。
 しかしポポは動かない。
「ポポ」
「違う」
「えっ?」
 ふと落とされた、低く、それでいて強い呟きに、大隊長は思わず少年を振り返った。
 振り返り……そして息を呑んだ。
 強い、なお強い意思のこもった少年の眼差しに、底冷えするような静かな怒気を感じたからだ。
 ポポは淡々と言葉を紡ぐ。
「必要なことなんかじゃありません。そんなモノ、押し付けられたっていい迷惑です」
 少年の手がぎゅっと握り締められた。
「今の僕達に必要なのは、混乱しているカザスを一つの形に治められる指導者です。そしてそれができるのは、ドウエル様の本当の望みを知り、サンドラを、このカザスを知り、終戦と平和を望んだ、あなただけなんです!」
 そこでポポは弱々しく顔を伏せた。
「確かに……受け入れてもらうには、いろいろ大変かもしれません。カザスにはドウエル様に反対する人が多かったのは事実ですし……でも」
 再び向けられた眼差しは、やはり臆することなく大隊長を射抜く。
「あなたなら大丈夫です」
 何処から湧いてくるのか分からぬ確信を込めてポポは断言した。そして自分もできる限り協力することを誓う。実際にこの少年の力添えがあれば、かなり心強いだろう。ポポは幼いながらに新セルディオ党の代表を務めており、カザスの住民からの信頼も厚い。
 なんと思慮深く、聡明な子だろうと大隊長は思った。本当に指導者としてふさわしいのはポポの方だ。
 だが彼は子供。せっかく戦争が終わり、子供が子供らしく元気に過ごせる時代が来るというのに、未来に広がる無限の可能性を無下にして、市政に投じさせるわけにはいかない。子供を守り、導くのは大人の仕事だ。
 大隊長は再び墓に目を向けた。
『ドウエル様の本当の望みを知り、サンドラを、このカザスを知り、終戦と平和を望んだ、あなただけなんです』
 ――ドウエル様の本当の望み。
 ドウエル様は何故、兄を殺して国を二分化した? そして何故、自分はドウエル様に付き従った?
 そんなもの、考えるまでもない。
「現状から逃げるようなこと、しないで下さい……」
 黙したままの大隊長にポポは言葉を続ける。
「今までのことを償いたいのなら、生きて下さい。生きてその思いをカザスの人達に見せて下さい。そして、ドウエル様への忠誠を貫くのなら、ドウエル様の意志を継いで下さい。優しかった、前のドウエル様の本来の意志を」
「……」
 ドウエル様……
「死ぬことはいつだってできます。それを言ったら、生き物は皆いずれ死ぬんです。でも、死んでしまったら、もう何もできません。だから……とりあえず今は、生きてみましょう?」
 ……大隊長は小さくため息をついた。幼い子供の口から、なんのためらいもなく“死”という言葉が出てきたことに、世の荒廃を感じたのだ。戦争の傷は、深い。
 今一度、少年を振り返る。何も言わずに目を見つめた。
 ポポは大隊長の意図が分からなくて少し困惑したが、怯むことなく受け止める。
 ――やがて、大隊長は少年に微笑んで見せた。
「そこまで言うのなら、努力してみよう」
 途端、少年の顔が喜びで輝いた。
「本当ですか!」
「ああ……私如きが何処まで貢献できるか分からないが」
「大丈夫ですよ。僕はそう信じてますから!」
 大隊長はうなずいて立ち上がり、主君の墓を見下ろした。そして地面に突き刺した愛剣を引き抜く。
 どうか、今少し時間の猶予を。
 そう心の中で主君に呟き、最大級の敬礼を捧げた。
 自分の役目は終わり、できることなど何もないと思っていたが、やることは、やらねばならぬことは、沢山ある。
 大隊長はポポを見た。
 この少年が気付かせてくれた。与えてくれた。
「……感謝するよ、新セルディオ党代表者殿」
「いいえ! こちらこそ、ありがとうございます! これからよろしくお願いします!」
「こちらこそ……よろしく頼む――」

 時代は新たに歩み始める。



END
ラヴィッツを差し置いてムービーに登場していた大隊長の話でした。
なんかありきたりな話だなと思わなくもないんですが、まぁ、私なりの小説ということで。
なんかポポが強気になり過ぎで「ありえねー」と思わなくもないんですが、LOD初小説ということで。
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