女神

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 扉をノックすると、女性の声で「どうぞ」と返ってきた。
 こんな所にいたのかと、少し呆れ気味にため息をつく。
 「失礼します」と声をかけて扉を開けると、視界いっぱいにまばゆい光が広がり、めまいを覚えた。
 なんてことはない。窓から太陽の光が差し込んでいるだけだ。ただ廊下の薄闇に目が慣れていただけで。
 決してその光の中に立っていた女性の姿に目がくらんだわけではない……
「あら大隊長殿、ごきげんよう。陛下に御用かしら?」
 まるで花が咲くように微笑んで女性が問う。
 ここは主君ドウエル皇帝の書斎。当然の質問ではあるが。
「いいえ。貴女を捜していたのです……カリーナ様」
 大隊長が答えると、女性――カリーナは笑顔に苦みを滲ませた。
「もしかして、騒ぎになっているのかしら?」
「当然です。侍女たちにすら何も告げずに部屋からいなくなられては、皆心配します」
 しかしカリーナは悪びれた様子もなく、肩をすくめた。
「だって、ずっと部屋にばかりこもっていたら、気持ちまで陰ってきそうなんだもの。かと言って侍女に言ったって許してもらえないでしょうし」
 皆して過保護なんだから、と愚痴をこぼす。
 大隊長はそんなカリーナの顔色を伺った。
「……お加減はよろしいのですか?」
「ええ。昨日の不調が嘘のようにスッキリしてるの。天気もいいし」
 臣下の気遣いにカリーナは笑顔で答えた。まるで陽光のような笑顔。顔色もいいので、嘘は言っていないようだ。
 ――だが。
「お読みになりたい本があるのなら後程お持ちします。ですから今は自室にお戻りになって下さい」
 でないと自分が侍女達に怒られる……という情けない本心は心の内に留める。
「分かったわ。仕方ないわね。貴方に見逃してもらっても、いずれ見つかるのは時間の問題ですものね。それに」
 カリーナの目に、何やらイタズラめいた光が宿った。
「貴方が後で侍女達に怒られてしまうものね」
「……別に、それは問題ではありません」
 当然口ではそう答えるものの、内心女を怒らせたくはなかった。怒った女ほど厄介なものはない。
 カリーナは愉快そうに笑った。
「そうね。そういうことにしておきましょうか。――ところで大隊長殿、これから少しお時間ある?」
「は?」
「いいお茶が入ってるのよ。ご馳走するから、少し話し相手になって下さらない? じゃないと退屈でしょうがないわ」
「……いえ、折角のお誘いですが、仕事が残っていますので」
 臣下如き自分がカリーナ様とお茶を共にするなど、もっての外……なのだが。
「ふふふ、貴方って本当に嘘が下手ね。ヒマじゃなければ、大隊長ほどの者が侍女の手伝いなんかするはずないじゃない。陛下のおっしゃる通りね」
「……」
 大隊長は苦虫を潰したような気分になった。皇帝には何度か言われたことがある。だがまさかこの方にまで言われるとは……
「そうと決まれば、早く部屋に行きましょ。時間がもったいないわ」
 言うが早いかカリーナは大隊長の脇を通り抜けて書斎を出た。扉の外で振り返り、大隊長を促す。返事をした覚えはないのだが、自分がお茶の席に招かれるのは、覆しようがない決定事項のようだ。
 大隊長はため息をついて腹を決め、仕方なく皇帝の奥方の後に付き従った。



 サンドラ帝国の皇帝ドウエルが妻・カリーナ。
 高貴な立場であるにも拘らず、誰に対しても気さくに声をかけ、そして微笑んだ、優しく美しいひと。
 恋心は抱いていなかった……と言えば嘘になる。
 だがそれはドウエル皇帝の奥方であったからこそだ。だから成就させたいなどとは微塵にも思わなかった。
 カリーナはドウエル皇帝の、最高にして唯一の理解者だった。常にドウエルに付き従い、支え続けた素晴らしい女性。
 いつまでも主君の側に在り、そして――ごく稀で構わない――自分の名を呼び、話し掛け、微笑んでくれる……それだけで良かった。いつぞや、お茶に誘って下さった時のように。
 ――だが、貴女は逝ってしまった。
 カリーナを模して造られた女神像を見上げ、大隊長は彼のひとの笑顔を思い浮かべた。
 貴女が生きていたら、サンドラとバージルの争いはもっと早く終わっていただろうか。
 貴女が生きていたら、国民は今より苦しまずに済んだだろうか。
 貴女が生きていたら……ドウエル様の心が闇に囚われることなど、なかっただろうか――
 大隊長は頭を振った。仮定など無意味だ。それにカリーナ様とて早く死にたかったわけではない。そんな空想は彼女に失礼だろう。
 ――階上では未だ、争いの音が続いている。ドウエル皇帝が戦っているのだ。強い意志をその目に宿した者達と。
 だが永遠には続かないだろう。いずれ終わる。しかも、そう時間はかからずに。
 大隊長は女神像に背を向けた。サンドラは終わる。後片付けをしなければならない。
 彼はその場を離れ――

 ――離れようとした、その時。

『もう……連れて行くわ……』

 カリーナの声が聞こえたような気がした。
 大隊長は驚いて女神像を振り返った。視界の隅で何かが微かにきらめいたような気がしたが……気付いた時にはもう何もなかった。
 自分のカリーナ様への想いと、女神像の持つ面影が作り出した幻だろうかと考える。
 階上の音は消えていた。
「……どうか、ドウエル様に救いを」
 幻聴にそう呟き返す。
 それはもしかすると、カリーナが逝ってしまった時からずっと抱いていた、祈りの言葉なのかもしれなかった。



END
一番好きなキャラはラヴィッツなんですが、創作意欲を刺激してくるのは大隊長なんですよね。
ってなワケで、大隊長小説第二段。
草葉の陰からそっと見守るだけの恋心。
っつーか、死んでないし。死んだのカリーナだし。しかも怪しいし。
そのうち市長バージョンも書いてみたいですな。
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